ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

関登久也が語る宮沢賢治5

関登久也氏は、宮沢賢治と同郷で氏の生前を知り、尚且つ賢治氏に関する細々とした随筆を残しています。今回は、賢治氏の臨終間際の思い出を綴っています。
以下、『』内の文章は1941年に十字屋書店から発行された関登久也「北国小記」より宮沢賢治関係の随筆のみ、現代語訳した上、引用しております。宮沢賢治の研究の一助になれば幸いです。

 


『 電 話


 昭和八年拙著「寒峡」を出版した時、前々から待っていてくれた賢治氏へ取り敢えず子供を使いして届けさせましたら、間も無く電話がありました。電話の声もまる味があって凛としたいい声でした。たいへん丁寧なお言葉で恐れいりました。その言葉が半ばあたりから少し力がないように思われましたが、それから十日もたたないのに亡くなられたのですから、青戸で思い当たり暗然としました。拙著「寒峡」について感想を書くと言って、そういう亡くなる十日ばかり前の、どんなに苦しかったか知れない病状の中において書かれた二枚の原稿を見た時、この時もまったく暗然としました。その稿を認める時、今夜の電気は暗いなあとつぶやかれたそうですが、それはすでに病状が刻々と進んで視力が弱ってきた証拠でした。私ごときものにまでそういう風に無類の誠実を発揮して下された好意は誠に感に堪えなくなるばかりでした。前の電話の話に戻りますが、私も恐縮して電話に幾度もお辞儀している有り様を愚妻が見て、賢さんは何という立派な人なんでしょうと独語しました。全くあの電話の声は終生私の耳に残るのでありましょう。


 晩 年


 医専の松田という学生が来て宮沢氏にお目にかかりたいと言うので同道したのは亡くなる二ヶ月くらい前でした。その時賢治氏は書道の全集のようなものをだしてみておられたと思います。私たちにもその本を見せて書は必ずしも上手でなくとも、こんな字も大へん親しめると言って誰の書だか稚拙な書風をページをめくってみせてくれたりしました。牛乳屋の八木さんから菊花展覧会の菊につける短冊を頼まれたが、あなたもお書きなさいと言われたりしたと思います。その日の賢治氏は少し痩せて顔は骨ばっていたと思いますが、肌は白く艶を帯びていました。髪は蓬々と生えていましたが、髪の毛の薄い人でしたから、頭の地肌がみえるような感じでした。終始微笑されていても声は凜としていました。しかし随分慈愛のこもった声で聞いていても感にたえませんでした。私も商売が忙しくて、さっぱり訪問しませんでしたが、久し振りでお目にかかった為か、その日の賢治氏には以前とは格別の相違があるように思われました。どう相違しているかといえば、その日の賢治氏は人間をはるかに超えた賢治氏だとつくづく感じられたのです。辞して帰る道すがら、私は若い医専の松田君にそういうことを幾度も繰り返して話しましたが、松田君にはわからない様子でした。もっとも松田君は初対面でしたから…。


 報 恩 寺


 大正六年は賢治氏二十二歳の時で、農林卒業の年だと思います。当時十九歳の私は好きな学校にも入れず悶々としていたし、それに多少宗教を考え、人生を考えていた年頃ですから、家を飛び出して盛岡に行っておりました。岩手公演から市内を俯瞰しては人間なんて微粒、弱小なものだ、はかないものだと考えては人生否定の嘆きをして戻りました。ある日その公園の坂を降りてすぐ近くの下宿屋におりますと、偶然賢治氏に会いました。そしてとりとめもない話しをしている内に賢治氏は私に同情してくれて、「それなら報恩寺にゆきましょう。あの和尚なら偽りは言いますまいから、ギリギリのところまで聞いてみましょう」と言って私を外へ連れ出しました。その時の賢治氏の服装は絣の袷を着て袴をはいておりました。背は低くない方ですが颯爽として、後へついて行く私は自分をみすぼらしく感じました。日没頃の岩手公園の下を前になって足早に行く賢治氏の姿は今もはっきりと目に残っております。さて報恩寺に参りますと、庫裡の玄関に立って賢治氏は太い響きのある声で「おたんの申す、おたんの申す。」とよびました。間もなく小僧が出て来て、二人は奥の文英和尚の部屋に通されました。和尚は大兵(だいひょう)で、赤顔をニコニコさせて迎えてくれました。それから賢治氏は来意を告げて和尚と問答を始めた訳です。賢治氏はかなり難しい質問を発し、私には深い意味はわからなかったと思います。
 それから私は人生否定の言葉をのべたと思いますが、和尚と話している内にワッと泣きました。なんの意味で泣いたか今は判然といたしません。そして翌日から報恩寺へ出かけ薄暗い本堂で五、六日の間、何か考えさせられたと思います。この報恩寺の和尚と賢治氏の問答はその取り交わした言葉は忘れましたが、何かしら冷厳な気分が今だに記憶の内で消えずにおります。』


大兵(だいひょう)・・・「たいひょう」とも読む。体が大きいさま、あるいは弓を引く力が強いこと。

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