ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

水上瀧太郎が語る泉鏡花8

水上瀧太郎(みなかみたきたろう)は泉鏡花を師と仰ぎ、彼が1928年(昭和3年)に書いた「鏡花世界瞥見」は、1967年に筑摩書房から出版された「現代日本文学全集9 泉鏡花 徳冨蘆花」の一巻に掲載され、それから5年後の1972年に同社から発行された「現代日本文学大系5 樋口一葉・明治女流文学・泉鏡花集」ではこの解説は現代仮名遣いに改められた上で、所載されています。今回は、現代仮名遣いに改められた左記の本稿を全文『』内にて引用しております。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

 


『女性讃美者である泉先生が、今迄に描いた女は幾百人か知らないが、先生の理想を身ひとつに集める花形は芸者で、つづいてはおいらん、貴婦人、令嬢、おかみさん、むすめであるが、何れも若くて美しい事はいう迄も無い。年寄は先生の好まないところだから、孫を可愛がり、孫に慕われるおばあさんが稀にあらわれる位のもので、大概は嫁をいじめたり、助平だったり、強慾だったり、いい心がけの奴は居ない。
 初期に於ては、屢々年下の少年に慕われる奥さんやむすめが、先生の思慕の情をほしいままに受けていたが、特別に興味のあるのは、「照葉狂言」や「髯題目」の如き女芸人を主役に持つものであった。それが明治三十年代になると、俄かにおいらんが第一の座に直った。「風流蝶花形」「辰巳巷談」「通夜物語」などが其の方の代表的のもので、案ずるに先生の新しい経験が、取材の範囲を広めたのであろう。威張っている奴に反抗し、美しくして弱きものに同情する浪漫派の詩人にとって、悲惨なる此の社会の女性は、哀切なる詩材を提供した。
 おいらんの後を受けて、鏡花世界第一の人気者となったのは芸者である。「湯島詣」「起誓文」「舞の袖」にはじまって「婦系図」「紫手綱」「白鷺」「日本橋」の如き名篇が生れ、その他芸者がいい役廻りをつとめる作品は数え切れない。此の連中も亦先生によって極端に美化され、いい気持で鏡花世界を、我物顔に振舞っている。
 江戸讃美、下町崇拝のあらわれとして、芸者の外に、侠(きやん)なおかみさんやむすめも描かれる。此の階級の中でも「三枚つづき」の柳屋のお夏こそ、最も意気旺(さか)んなるものであろう。無邪気でおきゃんで、我儘で、気が弱くて、そのくせ捨身になると何をしでかすかわからず、好きな人には甘ったれ、嫌いな人にはつっかかるのが、その特質である。
 そういう江戸下町の女に対して、一方には山の手の上流階級ー時には郷里金沢の豪家ーの夫人や令嬢が、けだかい美しさをもって描かれることもある。けれども、奥さん令嬢階級は階級として先生の讃美を受けること芸者おいらんのようには行かない。まかり間違うと、忽ち嘲罵の的となる運命を免れない。即ち選ばれたる少数は素晴しくいいめを見るのだが、然らざる大衆は、野暮と不粋の代表者としてやっつけられる。まして況んや先生の嫌いな女学生は、人形芝居のおさんどんの如く人間ばなれをした取扱を受けねばならぬ。要するに、粋でたて引を知っている下町に対して、山の手は権高かったり、偽善だったり、みじまいが悪かったりして、作者の神経を苛立たせ、公憤を燃え立たせるのである。何しろ、威張っている奴に対する反抗は頗る強く、華族、金持、軍人、道学者などは、屢々先生の筆端に揶揄翻弄嘲罵冷笑される。
 それに対して非現代的の英雄が一方にあって、白熱の意気をもって鏡花倫理を説き、さかんなる声援を受ける事、恰も二つの超自然力即ち鬼神力と観音力の対立に等しい。
 そうかと云って、泉先生は必ずしも権力階級や金持に対し、ひたむきに反抗する心を持っている訳では無く、理論的に攻撃する意志も無い。寧ろその反対で、二重橋の前を通る時は、どんなに酔っていても必ず脱帽し、貴族や金持に対しても、不当の尊敬を払うような危険さえ持合せているようだ。そうして見ると、先生の嫌うのは、その連中の中にすっきりしない奴や威張る奴が多く、そういう大面に対して、むらむらと癇癪が起き、黙って許しては置けなくなるものらしい。
 先生の心には、年季をかけた専門家に対する職業神聖論が潜んでいる。女の中で、特に芸者が讃美の的となるのも、そのひとつのあらわれであるが、女の芸者に於るが如く、男性の中で最上級の賛辞を浴びるのは芸術家か、何か一芸に秀でた人物である。「聲の一心」以来名工は神の如きうでを持ち、彫刻師広常の作った「ささ蟹」は、夜な夜な人の枕頭を馳廻る。「取舵」の老船頭の鍛錬、「斧の舞」の老頭領の意気、その他此の一群に属する神人は頗る多い。やや近代的色彩を帯びたのには、学士という一階級があって、その卵の官立大学生と共に、あやうく神にまつり上げられんとしている。傑作「風流線」の工学士水上規矩夫はその方の代表的人物で、脚本「日本橋」四幕目第二場生理学教室は、その神人の道場の見本である。「婦系図」や「白鷺」に出て来る紅葉先生の如き人物は殆ど尊敬の結晶で、その外めっかちの鉄砲の名人だの、庖丁とっては向うものなき魚屋だの、剃刀(かみそり)を持たせては無敵の床屋だの、それぞれの道に於ける名人達人は目白押に並んでいる。
 鏡花世界に活躍する各種の人物を一々紹介していてはきりが無いが、要するに先生の好きな人間と嫌いな人間の対立で、一方が善玉ならば、片方は悪玉である。両花道からあらわれて、紛糾せる境涯にさまざまの葛藤を演じ、一方は声援喝采をうけ、片方は引込めくたばれと怒鳴られる役廻りを引受る。万一悪玉の力量絶群で、善玉の力及ばず、いつ迄も舞台中央に踏みはだかっていると、作者は自身舞台にかけ上り、共に脚光を浴びながら、助太刀をして叩き殺してしまう。登場人物は善玉か悪玉か、どっちかにきまっているのだから、その葛藤は事件としては複雑でも、明治大正昭和へかけて幾多の小説家が苦心し、又得意とする心理解剖を伴わないから、解決には手間を取らないで済む。彼等は素晴しく派手な衣裳を身につけて、色彩ゆたかなる絵画美を描き出せば足りるのである。』

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