泉鏡花作品解説集2
清水書院から1966年に出版された「泉 鏡花 人と作品」に掲載されている解説は、主立った作品が書かれた時代背景や、泉鏡花自身が作品を書くにあたっての人生の背景を仔細にまとめてある好著です。以下、『』内の文章は左記の本からの引用となります。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。
外科室
『「四月、『夜行巡査』を「文芸倶楽部」に発表、「青年文」誌上田岡嶺雲氏の讃を受く、つづいて『外科室』深夜に成りて、「文芸倶楽部」巻頭に盛装して出づ……」
と、その年譜に記されてあるところを見ると、『夜行巡査』の好評に気をよくした鏡花が、余勢をかって一気に書き上げたものらしい。また「文芸倶楽部」の編集者も、新しい文壇の担い手として、鏡花に期待することが大きかったのであろうか、この作品は本書の巻頭に載せたものである。
かつて、「文学界」を創刊(明二六・一)、これによってローマン主義文学運動を起こした若き論客北村透谷が「恋愛なくしてなんの人生ぞや」と叫んだが、鏡花の恋愛至上主義の烈しさもそれに劣るものではなかった。
ところで、鏡花が、日ごろから抱いていた恋愛観・結婚観とはどんなものであったろうか。明治二十八年五月、というと『夜行巡査』発表の翌月、『外科室』発表の前月になるが、雑誌「太陽」に載せた論文によってうかがってみよう。
「媒酌人先づめでたしと、舅姑(しうと)またいふめでたしと、親類等皆いふめでたしと、知己朋友皆いふめでたしと、渠(かれ)等は欣々然(きんきんぜん)として新夫婦の婚姻を祝す、婚礼果してめでたきか。」
と、疑問を提出、小説の世界においての結婚は、すべて多難な恋愛の結末として到達するところだからこれは別であるとことわって、一般においては、女性の不幸は結婚によってはじまるものだという。結婚とは、夫のため知己親類のため、奴僕のため、村のため、家のため……に女が泣くことであるという。そしてむしろ、
「情死、駆落、勘当等、これ皆愛の分弁たり。すなわち其人のために喜び、其人のために祝して、これをめでたしといはむも可なり」
という。
「人の未(い)まだ結婚せざるや、愛は自由なり。諺に曰く、『恋に上下の隔(へだて)なし』と。然り何人が何人を恋するも誰かこれを非なりとせむ。一旦結婚したる婦人はこれ婦人といふものにあらずして、寧ろ妻といへる一種女性の人間なり。吾人は渠を愛すること能はず、否愛すること能はざるにあらず、社会がこれを許さざるなり。愛することを得ざらしむるなり。要するに社会の婚姻は愛を束縛して、圧制して、自由を剥奪せむがために造られたる、残絶、酷絶の判法なりとす。」
しかし、だからといって鏡花は結婚を否定したわけではない。結婚をすることは、親に対する孝道であり、家に対する責任であり、友人に対する礼儀でもあり、つまり「社会に対する義務」であると結論、そして、そのような義務を果たそうとする新夫婦に向かって、周囲の者は、祝すのではなくて、むしろこれに感謝をするべきだと結ぶのである。
後半の方では、社会に対する義務をとなえたり、常識的になっているが、かれの言おうとする本心は、世俗的な結婚に対する不満と怒りであった。それは、
「下女に飯を炊かし、妻に膳拵(こしらえ)させて、それが即ち良家家庭を完うしたのだというが如き……」(「女優力枝評」明三九・一二)
という一文にも、世間なみの良い家庭に対する批判が見られるのである。
この論文を書いた四年後、かれは神楽坂の芸妓桃太郎(後のすず婦人)と、師の反対をおしきっての熱烈な恋愛をする。もちろん、すず婦人の魅力はさることながら、やはり、つねづね抱いていた結婚観によるものだといえよう。鏡花の作品に表れる悪役とは、かならず「愛を束縛して、圧制して、自由を剥奪……」する世俗の男性である。翌年の二十九年、同じく「文芸倶楽部」に載せた『化銀杏』では、人妻が、愛する少年芳之助に、
「しかしね芳さん、世の中は何と無理なものだろう。唯式三献(ただおさかづき)をしたばかりで、夫だの、妻だのツて、妙なものが出来上つてさ。女の体はまるで男のものになつて、何をいはれてもはいはいつて従はないと、イヤ不貞腐(ふてくされ)だの、女の道を知らないのと、世間で種々(いろいろ)なことをいふよ。
一体、操を守れだの、良人に従へだのという掟かなんか知らないが、さういつたやうなことを極めたのは、誰だと、まあ、お思ひだえ。一度婚礼をすりや疵者(きずもの)だの、離縁(さら)れるのは女の恥だのツて、人の体を自由にさせないで、死ぬよりつらい思いをしても、一生嫌な者の傍についてなくちやあならないといふのは、何ういふ理窟だらう、わからないぢやないかね……」
といわせている。
また、これより十二年後に執筆した『婦系図』のフィナーレに近いクライマックスで、早瀬主税が、政界の野心家河野英臣と対決するに当たって、
「凡そ世の中に、家の為に、女の児を親勝手に縁付けるほど惨(むご)たらしい事はねえ。お為ごかしに理窟を言つて、動きの取れないやうに説得すりや、十六や七の何にも知らない、無垢な女(むすめ)が、頭(かぶり)一ツ掉(ふ)り得るものか。羞含(はにかん)で、ぼうと成つて、俯向くので話が極つて、赫(くわつ)と逆上(のぼ)せた奴を車に乗せて、回生剤(きつけ)のやうに酒をのませる、此奴を三々九度と云ふのよ。其処で寝て起りや人の女房だ。」
と、余の常の結婚をののしって、
「娘が惚れた男に添はりや、譬ひ味噌漉しを堤げたつて、王の冠を被つたよりは嬉しがるのを知らねえか。傍の目からは筵と見えても、当人には綾錦だ。」
と、真の結婚とは、愛以外の結びつきによるものでないと、たんかを切らせているのである。
この『外科室』については、特にモデルというほどのものはないが、『鏡花小解』によると、
「小石川植物園に、うつくしき気高き人を見たるは事実なり。やがて夜の十二時頃より、明けがたまでに此(これ)を稿す。早きが手ぎはにあらず、其の事の思出のみ」とある。』