ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

泉鏡花作品解説集5

清水書院から1966年に出版された「泉 鏡花 人と作品」に掲載されている解説は、主立った作品が書かれた時代背景や、泉鏡花自身が作品を書くにあたっての人生の背景を仔細にまとめてある好著です。以下、『』内の文章は左記の本からの引用となります。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

 


 照葉狂言解説の続きです。


『~中略~
 鏡花の世界に登場する女性たちは、すべてやさしく美しい上に、叩けば「きーん」と、冴えた金属音をもって応ずるような手ごたえがある。『婦系図』お蔦の江戸育ち、『高野聖』の女性の妖艶神秘な魅力、『歌行燈』のお三重の可憐……だがしかし、肉体と官能の欲情をまったく超越した自己犠牲の崇高さをもって男を愛することの美しさでは、この小親に及ぶ女はいないのである。小親にとって、少年貢の存在はなんであろうか。
 「ああ、つい、ああもしてあげよう、恁うもしてあげて、お前さんの喜ぶ顔が見たいと思ふことが山ほどにあるけれど、一つも思ふやうにならないので、それでつい僻(ひが)むのだよ。分りました。さ、分つたら、ね貢さん、可いかい、可いかい。」
 「だつて余(あんま)りだから。」
 「ほんとはお前さんが何(なん)てたつて、朝夕顔が見ていたいの、然(そ)うすりやもう私や死んだつて怨はないよ。」
 「まあ!」
 「いいえ、何の、死んだつて、売られたつて……私や、一晩でもお前さんと恁うしていられさえすりや。」
 
 女芸人小親にとって、貢少年は単なる異性ではない。弟であり、自分の人生の生き甲斐であり、すべてをなげうって悔いのない神のような存在でもある。それだからこそ、その貢がかつて自分をこよなく慈しんでくれて、かれ自身が「姉上」と呼んで慕ったお雪が不幸な結婚をしている……と悲しみに沈む姿をまのあたりにすると、どんなことでもしてやろうという気になる。お雪を救うことによって、貢が嬉しいのなら、そのためには、色仕掛で、お雪の夫を誘惑することさえ決意するのである。しかも、しがない女旅人芸人の行く末に、この貢を夫にして頼っていこうとする気持ちさえ抱いていない。かつて、一座の花形であった先輩の女芸人小六が、年老いて売られていき、今は、見世物小屋の磔(はりつけ)にされる役柄専門であるという。小親は、自分の老いの先が、この先輩の落ちていく運命とちがわないことを予期していながらも、それはもって生まれた運命と、悲しく諦めている。だが、老いさらばえて、見世物小屋磔台に登ろうとも、せめてその台の上からでも、貢の姿を見とどけて生きていきたいと願う心情は、やりきれないほどにいじらしくせつない。たびたび述べたように、幼くして母に死別した鏡花は、少年時代から年上の美女に母の幻影を抱きつづけて生きてきた。そのためもあって、かれの作品に登場する男たちは能動的に異性を愛していこうとするより、むしろ愛されたいと願う受身のタイプが、しばしば登場する。そして貢少年は、その代表的存在なのである。
 それは、かつて少年期の鏡花のひそかなる願望の、絢爛たる開花結実なのである。
 作品の前半部、まだわらべの貢が、小親の芝居小屋で、
 「緋鹿子を合せて両面着けて、黒き天鵞絨(ビロード)の縁(へり)取りたる綿厚き座布団」
 を借りて敷いていると、町内の悪童国麿が、
 「あんな奴の敷いたものに乗つかる奴があるもんか」
 とあざ笑う。国麿は、つねに士族の家柄を誇る身である。しかし貢は、日ごろの気の弱さに似合わず抵抗の気構えを見せる。そして国麿から、
 「うむ、豪勢なことを言はあ。平民も平民、汝(きさま)の内や芸妓(げいしや)屋ぢやないか。芸妓も乞食も同一(おんなじ)だい。だから乞食の布団になんか坐るんだ。」
 と、ののしられると、ふだんは、
 「娼家の児よと言はるる毎に、不断は面(おもて)を背(そむ)けたれど……」
 このときに限っては、恥しいとは思わなくなった。というのは、同様に女芸人と恥ずかしめられながらも、
 「見よ、見よ、一たび舞台に立たむか。小親が軽き身の働、躍れば地(つち)に褄(つま)を着けず、舞の袖の翻るは、宙に羽衣懸ると見ゆ。長刀(なぎなた)かつぎてゆらりと出づれば、手に抗(た)つ敵のありとも見えず。足拍子踏んで大手を拡げ、颯(さつ)と退いて、衝(つ)と進む、疾(と)きこと雷の如き時あり、見物は喝采しき。軽きこと鵞毛(がもう)の如き時あり、見物は喝采しき。重きこと山の如き時あり、見物は襟を正しき。うつくしきこと神の如き時あり、見物は恍惚たりき。かくても見てなほ乞食と罵る、然(さ)は乞食の布団に坐して、何等疾しきことあらむ」
 ということばの中には、鏡花の遊女を最下層と見る世俗の通念に抗する主体的精神、また、芸道の真髄を讃える芸術至上主義がうかがえる。これは鏡花が、加賀百万石のお抱え彫金師であった父系と、幽玄神緲(びょう)たる能楽師との、いってみれば、かれが受けついだ家系の血の叫びにほかならない。このような家系と、もって生まれたロマンチシズムの天性を持ち合わせた鏡花にとって、生涯かかげられた大義名分の旗じるしは、美を守ることに在ったのである。
 「国麿は、ヌトたちつつ、褄(つま)取りからげて、足を、小親がわれ(貢)に座を設けし緋鹿子に乗せむとす。止むなく少しく身を退きしが、唯(と)見れば足袋も穿きもせで、そこら裸足(はだし)にてあるく男の、足の裏太く汚れて見ゆ。ここに乗せなばあとつけなむ、土足に此の優しきもの踏ますべきや……」
 と、ついに小親の貸し与えたきれいな布団を敷かせなかった貢。ここに鏡花の、美こそ最上の哲理であるとする耽美主義と、そして、神が、地上界に与えた美の化身としての女性を讃え、生命を賭してこれをおし戴こうとするフェミニズムを見ることが出来る。
 ところで、八年ぶりに、「てりは一座」とともに郷里へもどってきたとき、広岡の家のお雪、すなわち「姉上」の不幸をきいた貢の悲しみはいかばかりであったろうか。
 「興行の収入(みいり)も思ふままならで、今年此地に来りしにも、小親は大方ならず人に金借りたあるなり。
  楽しき境遇にはあらざれども、小親はいつも楽しげなりき。こなたも姉と思ふ人なり。姉とも思ふ人なり。
  然(さ)りながら、ここにまた姉上(お雪)と思ひまいらせし女(ひと)こそあれ。」
 と、貢はふたりの女性の愛の谷間にあって、苦しみ悲しみ、思いわずらうのである。しかし、それは、幼くして母に別れた作者の、年上の女性を追慕し、これに愛されたいと願う甘美な抒情の中に身を浸らせていることでもある。
 「熟(いず)れか非なる。わが小親を売りて養子の手より姉上を救ひ参らせむか、はた姉上をさし置きて、小親とともに世を楽しく送らむか、いづれか是なる、いづれか非なる。あはれわれ此間に処していかにせむと、手を拱(こまね)きて歩行(ある)くなりき。」
 人が、現実に生きていくということは、絶えず二者択一の決断を迫られるということであるが、鏡花文学ではこの矛盾をどのように越えていったのであろうか。
 「しづかに考へ決(さだ)むとて、ふらふらと仮小屋を小親が知らぬ間に出でて……」
 いつの間にか山路にさしかかっていた。思いあぐみ、歩き疲れた貢であったが、ふと耳を傾ける。
 「草に坐して、耳を傾けぬ。さまざまのこと聞えて、ものの音響き渡る。脳(つむり)苦しければ、目を眠りて静に居つ。
  やや落着く時、耳のなかにものの聞ゆるが、しばしば止みたるに、頭上なる峰の方にて清き謡の声聞えたり。」
 どこからともなくきこえてくる謡曲は「松風」の曲であた。
 こうしてラストシーンとなる。物語の展開は、夢とも現実(うつつ)とも分かち難い、いってみれば中世的幽玄の世界に、妖しくも美しく溶け入って消える。そして文体もまた、貢の耳が謡いを聞くだけではなく、
 「唯(と)見れば明星、松の枝長くさす、北の天にきらめきて、またたき、またたき、またたきたる後、拭うて取りたるやうに白くなりて、しらしらと立つ霧の中より、麓の川見え、森の影見え、やがてわが小路ぞ見えたる。襟を正して曰く、聞け、彼処にある者。わが心定まりたり。いでさらば山を越えてわれ行かむ」
 と、筆の走りもまた謡曲の詞章を思わせるように流れていくのである。
 こうして貢(鏡花)の選んだ生とは、二者択一という現実から遊離して超現実の世界、中世的幽玄の世界に歩み去っていくのである。優美哀切きわまりないその後姿を見せながらもー。』

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