泉鏡花作品解説集9
清水書院から1966年に出版された「泉 鏡花 人と作品」に掲載されている解説は、主立った作品が書かれた時代背景や、泉鏡花自身が作品を書くにあたっての人生の背景を仔細にまとめてある好著です。以下、『』内の文章は左記の本からの引用となります。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。
歌行燈解説の続きです。
『~中略~
芸術至上主義は、鏡花のローマン主義を支える大きな要素である。それは、これより十余年前にかかれた『照葉狂言』の中の、芸人たちの描写にも明瞭にうかがわれたが、しかし、鏡花の全作品を通じて、もっとも美しい開花を見せているのはこの『歌行燈』である。テーマそのものといってよいかもしれない。しかも作者は、このような世界を描くのに、これまたもっとも芸術的、象徴的な芸術である謡曲の序破急の構成による作劇術を用い、また高い格調と、透きとおる程に美しくリズミカルな文体を結晶させて見せたのである。
夜ふけた桑名宿に下車したふたりの老人ののんびりとした会話、きわめて悠長なテンポをとって、弥次さん喜多さんを気取る老人ふたりの、およそストリーには関係のないおしゃべりによってはじめられるのである。近代小説を読みなれた読者にとっては、いらだたしいほどに遊びの多い筋の運びだ。
このふたりが、人力車で、桑名の夜の街を通りすぎたとき、
「……つい目の前(さき)の軒陰に。……白地の手拭、頬被(ほおかむり)、すらりと痩せすぎな男の姿の、軒の其の、うどんと紅で書いた看板の前に、横顔ながら俯向いて、ただ陰法師のやうに彳(ただず)む……。」
しかし、老人たちは、その男の素性を見落して通りすぎてしまう。そして小説は、一方ではこの「ただ影のやうに彳む」博多節を流していく門付け、実は恩地喜多八を追って……、また一方では、旅宿の二人の老人、実は謡いの恩地源三郎、鼓師の雪叟を追って……、と交互に叙述、映画的手法によって話を進めていく。そして、この二元描写の間合いは、後半にいくにしたがって、徐々にテンポの早い場面となって、やがてクライマックスとなり、ついには二つの場面も完全んい一致するのである。ここにおいて読者は、はじめて小説の序章ともいうべき部分の悠長さが理解される。あの悠長さがあったからこそ、後半の激流のような烈しさも、美しいクライマックスも生きてくるのであるとー。そして、漸層的に高まっていくこのような作劇術もまた能楽のものであって、そのクライマックスにおいて、まったく鏡花文学の真髄に陶酔させられてしまう。われわれ読者の神経に能楽上「カケリ」と称するはずみの高い急テンポな小鼓の音まで聞こえてくるかのような幻覚にさえおそわれるのである。
お三重の出現以前は、弥次さん喜多さんを気取りながら、口の悪い間のぬけた老人同志が、彼女の踊りを見て、とつぜん威儀を正して、
「『御老体』
雪叟が小鼓を緊めたのを見て……恁う言つて、恩地源三郎が儼然として顧みて、『破格のお付合ひ、恐多いな。』
と膝に扇を取って会釈をする。
『相変らず未熟でござる。』
と雪叟が礼を返して、其のまま座を下へおりんとした。
『平に、其れは。』
『いや、蒲団の上では、お流儀に失礼ぢや。』
まったく、今までとはうって変わった、おごそかなまでのものごし会話に、読者の心もきりっと引き締まる。ここには作者の、能楽に寄せる関心と、信仰までに近い、きびしい心情がうかがわれるし、また作品の流れに濃いアクセントが生ずる。
高揚され、張りつめられた一座の空気は、なおも七、五の詩句をもって、典雅に、しかもリズミカルにつづけられていく。
それにしても、この少し前、老人に問われて語るお三重の身の上話の中に、
「……新地の姉さんが、随分なお金を出してくれましたの。
其でな、鳥羽の鬼へも面当(つらあて)に、芸をよく覚へて、立派な芸子に成れやと、姉さんがそういつて、目に涙いつぱいいためて、ぴしぴし撥(ばち)で打ちながら、三味線を教へてくれるんですが……」
とあるのにも、鏡花のロマンチシズムが、ただ甘美な詩情のみを追うのみのものでなく、芸道のきびしさを強調することを忘れない。人生において、真に価値あるものは、なにかより高いものを求めようとする心情によっても支えられているのを知るべきである。
おわりの場面も鮮やかだ。奇しくも、同じ桑名の街にいながら、旅宿に叔父の源三郎がいるとも知らないで、うどん屋で盃を傾けていた喜多八が、お三重の舞にあわせる雪叟の鼓に気づき、はじかれ上って、血を吐きながら港屋へ向かって走っていく。
港屋では、いままさに、源三郎の地謡、雪叟の鼓に合わせてお三重の乱舞がつづく。そこへやっと駆けつけた喜多八が、港屋の店先の前で、「能楽界の鶴」とうたわれた美声で、
「……さるにても此のままに別れ果なんかなしさよと、涙ぐみて立ちしが……」
と謡う。お三重にとってその声が、ああ、どうして忘れられよう。おのれの才の乏しさに、死のうとまでに思いつめたときに、芸を教えてくれた人、そして行方知れぬままに、恋しいと思いつづけてきた人の声。
お三重は、おどろきと嬉しさに、つい足元を乱すと、
「『やあ、大事な処、倒れるな』
と、源三郎すつと座を立ち、よろめく三重の背を支へた。老(おい)の腕に女浪の袖、此後見の大盤石に、みるの縁の黒髪かけて、颯と翳(かざ)すや舞扇は、銀地に、其の、雲も恋人の影も立添ふ、光を放つて、灯(ともしび)を白めて舞ふのである。」
まさに、大向うから声のかかるところ。かならず物語のヤマ場を設定する鏡花文学は、昭和の今日でも、舞台上に演ぜられて大衆にアッピールするところとなる。そのストリーが、悪くいえば大時代な通俗性の濃いのにもかかわらず、その華麗な才筆に対しては、ただ「詩人鏡花」と賞讃しないわけにはいかないのである。ストリーのおもしろさよりも、内容的な思想性・社会性を重要視する現代文学は、とかく、鏡花のこの物語性や、美しい文体を無視しようとかかるが、しかし、一面からいえば、その物語性・虚構性にこそ、現代文学に欠ける第一のものだともいえるのである。
「鏡花は、自然主義文学以後には出現しなくなつた豊かな制作力に恵まれた大型の作家であり、彼等の作品には、たしかに明治時代の日本人の理想と現実が盛られていることは確かです」(『明治文学史』中村光夫)
というような評価が、ようやく高まってきている昨今である。』