ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

徳永直の小説勉強 – 徳田秋声1

昭和18年(1943年)に出版された徳永直(すなお)の「小説勉強」より、徳永直が学んだ小説家に対して宛てた随筆を現代語訳した上、掲載しております。ここでは、徳田秋声編を下記の『』にて引用しております。この本は1943年の11月1日に出版されますが、18日に徳田秋声は亡くなります。そのため、文中では健在である秋声を鑑みての内容となっております。徳永直の研究の一助になれば幸いです。

 


徳田秋声


 田山花袋とならんで自然主義文学の最高峰と謂われた徳田秋声の諸作品中には大東亜戦争下における今日の新しい時局的要求からみて若干批判されるものをもつようであるが、大作家となれば単純にイデオロギーのみでは全的に否定し去れるものでもなく、また過去の遺産を正しく批判的に継承することが、後進の作家がより大きく成長しうる基礎であると思う。従って秋声作品中でも健康な面、筆者としても好んでいる秋声の特徴の一つについて語りたいのである。
 さて秋声といえば、明治二十年代から書き始めて今日まで五十年に亘る、誠に国宝的な存在であるから、作品も実に膨大であって、どの幾つかを採って、代表的作品というのもなかなか困難だし、況してや短い文章でその全貌を語ることは不可能だが、ここではせめて、道の人々をして秋声作品に親しみを持たせるだけの役割を果たせれば有り難いと思う。
 秋声の特徴の一つは、明治初期の作家としては珍しいほど庶民の生活を題材にえらんでいることである。有名な長篇「あらくれ」とか「黴」とかいう小説でも、常にその主人公は姿勢のその日その日の生活を描いているが、初期に書かれた「二老婆」とか「新世帯」とか「二人」とか「車掌夫婦の死」とか、比較的最近の「チビの魂」とか「勲章」とか、とても一々挙げきれないが、その殆どがみな庶民を題材としている。秋声は硯友社、即ち尾崎紅葉門下であって、一方では「不如帰」とか「金色夜叉」などがあらわれた時代に「二老婆」とか「新世帯」等を書いたのだから、随分ハイカラだったのである。明治四十一年に発表されているこの二つの作品は今日読んでもじつに新しい。
 秋声初期の代表作の一つと言っていい「新世帯」は、田舎出のある実直な若夫婦が小さい酒店を営々として築きあげていく、その過程での人情葛藤が描いてある。「二人」はこれも貧しい資本なしのある男が、メリヤス行商をおぼえて、漸くに生計の道を確立してゆくさまが描いてあるし、「勲章」では永年工場で働いて稼ぎ貯めた老人が、その資産を譲ってやるべき長男の身持の放埒さに心を痛めることなどが主題となっている。
 すなわち秋声作品では、最初から終いまで景気のいい英雄や豪傑は一人も出てこない。どれもこれも市井の人々、井戸端で会議するような長屋の内儀さんとかいった人物ばかりである。従って秋声作品は一見したところジミで、こまごましていて華やかなところが至ってすくない。
 しかし、だからこそ市井のこまかい人情機微は仔細に描きつくしてみじんも虚飾がないと言ってよい。読み終わると人間の肌にヂカにふれたような真実が、いつまでも読者の心に潜んでいる。人の心のあたたかさも或いはそのけわしさも鏡に映るようで、まっとうに生きてゆこうとする人々にとって種々の教訓を与えるものとなっている。
 文学にもいろいろある。しかし文学と名のつく以上、単に娯楽だけであってはならないのだと思う。いい加減の筆さきでその場かぎりの嬉しがらせで読者をゴマカスことは、多少なり文学才能のある人間にとってはさほどむずかしいことではない。しかし真に人間の心を魂から揺りうごかし、希望と活気を与えるには、作者自身がありとあらゆる似て非なるものをめくりとって、それこそ偽りない真実を生活のうちから探りだしてみせることこそ、文学の任務であろうと思う。秋声文学のうちのあるものは筆者といえども全的には打ちこめぬものがないではないが、しかしこのまことに膨洋たる流れのごとき秋声作品のうちにはわれわれ後身の作家が学んでも学びつくせぬほどのものがある。』

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