ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

徳永直の小説勉強 – 徳田秋声2

昭和18年(1943年)に出版された徳永直(すなお)の「小説勉強」より、徳永直が学んだ小説家に対して宛てた随筆を現代語訳した上、掲載しております。ここでは、徳田秋声編を下記の『』にて引用しております。徳永直の研究の一助になれば幸いです。

 


森鴎外にも夏目漱石にも見ることが出来ない、秋声作品の前記した特徴は秋声自身の七十年の生涯が市井の人々と共にあったからであろう。つねに人と人との和、真実と幸福を希念して、身をそこにおいてきたということである。そして現在も七十の老躯に鞭うって、市井の間に眼を光らせ、仕事に励んでいるということをわれわれは忘れてはならぬと思うのである。
 秋声作品の前記した特徴が、従って独自なスタイルを創造していることは当然であろう。腰のひくい、呼吸のながい文章である。次にその文章、構成、スタイルについて述べたいと思うが、後身のわれわれは、今日以後の新しい日本文学を創造するためにも、その遺産はこれを正しく批判的に継承するために、出来うる限り学び吟味しておくべきだと考える。
 徳田秋声の五十年にわたる文学生涯において、その特徴となすものの一つは、その庶民性であるということを前に述べた。これは私の好みからいうと、秋声文学の最も健康な面、積極的な面、プラス的な面であると考えるが、小商人、職工、まずしい日影の女、或いは裏町の老婆や子守女などを描いたその題材的特徴も、主として秋声文学の前記に多く、後期に少ないということは注意されるべきことである。後期にも「勲章」のようなものがあり、前期のそうした諸作品にくらべて表現的にもすぐれているが、前期のものには比較的それらのテーマが、個人的なものに畳みこまれるよりは、どことなく一般的なものへおしだしてゆく傾向がつよかったと思う。そしてそれが明治末期から大正初期をある境目としているかにみえるのは、当時の文壇ないし社会を通じての潮流を考慮するとき、秋声文学を理解するうえの一つの鍵とまでは言えなくも、何かのモメントではあると私は考えている。
 さて「新世帯」(秋声全集第七巻)は秋声作品の前記した特徴を代表する傑作の一つと一般に謂われている。明治四十一年国民新聞に連載されたもので百五六十枚の中篇であるが、私たちはこの作から何を学ぶべきか。
 年期奉公を終えた新吉は小資本ながら小石川表町に小さい暖簾を張って酒屋を始める。幼いときから世間の苦労を舐めてきて、吝ン坊(しわんぼう)ではないまでも、一文の銭も割ってつかうほどに「おあし」の値打を知っている。小野という友達の世話で、作という女中あがりの娘を女房に迎えてどうやら、世帯もできた。
 作は気の鈍い百姓娘だが、気だてはやさしくときおりは暴君になる新吉の仕打ちにも泣いてこらえるだけで、店へ出て酒のはかりこみなどして「貴様などすっこんで雑巾など繕ってろ」と怒鳴られれば、それなりに丹念に刺し物などして、亭主の機嫌におろおろしているといったふう。そのうち小柄で冷え性の作もいつか妊娠して、お産のために田舎へいくが、「このくいつぶしめ、出ていけ」などと怒鳴る新吉も、いなくなってみれば「ちょッと訪ねてみようか」などいうれんびんの気も起る。
 そのうち友達の小野という商売のはっきりしない男は、ある不正事件で検挙され、その女房国というのが何ということはなしに新吉の店にはいりこむ。ある垣根はおいても女手がないだけに、新吉も重宝に思っているが、勝気なくせにどっか水商売肌の国が一かどの内儀さんづらして振舞われると、やはりムッとなる。そんなときは何故ということはなしに作をおもいだし、思いもかけず自分から作の田舎の家へ訪ねていったりするが、気ばたらきのない相手をみると、腹にもってるわけでもないぞんざいな言葉が飛びだして帰ってくる。国は作にくらべて、新吉にもある種の魅力があるが、さりとて帰ってみれば、長火鉢の前にながながとねそべって、按摩に腰を揉ませているていたらくには、やはり堪りかねるものがある。』


モメント・・・契機または瞬間。モーメントとも言う。
吝ん坊(しわんぼう)・・・ひどく物を惜しむ人を悪く言う語。けちんぼう。

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