ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

徳永直の小説勉強 – 夏目漱石2

昭和18年(1943年)に出版された徳永直(すなお)の「小説勉強」より、徳永直が学んだ小説家に対して宛てた随筆を現代語訳した上、掲載しております。ここでは、夏目漱石編を下記の『』にて引用しております。徳永直の研究の一助になれば幸いです。

 


漱石は江戸ッ子である。この肌合的な特徴は「吾輩は猫である」「坊ちゃん」以来、その文章に色濃くでているが、特に初期のものに濃厚である。そして濃厚であると同時に、初期の作品は後期にくらべずッと明るい。明るいというのが不適なら華美だといってもよい。ところが後期の作となるとしだいに江戸ッ子的な肌合がうすれてゆくと同時に「坊っちゃん」にみるような華美さはほとんどみられなくなるが、この傾向は注目すべきことだと考える。
 誕生早々、明治の革新をむかえた江戸ッ子漱石は、急調な時代の進展と共に、堰を切って流れこむ外国文明の学問をしたが、その波に乗って自ら調子づいているところはなく、むしろ出世の途へ背をむけている。明治四十四年文部省は文学博士の称号を与えたが、彼はそれを受けとらなかった。当時各新聞は彼の博士号不受問題で是非の論がやかましかった。以来三十余年、未だに文部省と故漱石との間に「博士号」はいずれともひっこみがつかずいる訳であるが、漱石は当時文部省へ次のような回答をしている。「──然る処小生は今日迄ただの夏目なにがしとして世に渡って参りました。是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております。従って私は博士の学位を頂きたくないのであります云々。」(漱石全集第二十巻)
 こういう漱石の気持ちは同時に彼の文学が物語っている。彼は日本の近代文学の背景を作った大きな一人であるが、そのうちでも「芸術上の個性」を最も尊重した一人である。個性は勿論個人主義とはちがう。それは彼が第一高等学校で行った講演「模倣と独立」に遺憾なく現われている。読者はまた「坊っちゃん」その他の作品にでてくる人物の独特な性格ないし個性の明瞭さに気づくだろう。しかも漱石作品の主人公がすべて平民的で、平凡で、およそ出世とは縁遠い、馬鹿ではないが、無器用者で正直な人物で、共鳴を感じずにいられないと思う。
 そこに彼の江戸ッ子肌合がよく出てくる。江戸ッ子は一面からいうと地方人にくらべて、よりつよく平民性を持っていると言われる。つまり政治の中心地にいて、日常肩書のある人々に接触する機会が多く、従って肩書だけではむやみと飾れないということにもあるだろう。しかし同時に漱石文学の色合でもある江戸ッ子調はそんな必然とならんで、生まれたままの偶然もあったのである。
 「吾輩は猫」以来、この漱石の特徴は読者の間に大きな反響を呼び起こしたことは当然である。明治末期にちかく日本の近代文学はまだ封建的臭味がつよく、ハイカラなものでも、それは翻訳調から脱してはいなかったから、まことに新鮮だったろうと思われる。殊に「坊っちゃん」や「吾輩は猫」にみる、至って単純で素朴な、事大主義的な臭味への江戸ッ子的反撥は、はじめて日本の土から生えたようなたしかさと、ハイカラな見識をもかね備えて、読者の興味をそそったことは疑いない。
 これを同じ維新前に生まれた作家森鴎外とくらべると興味がある。同じように鴎外も独逸から帰朝すると間もなく小説を書き始めたが、漱石が、一私会社の雇い人になったにくらべて、鴎外は官途益々栄えて軍医総監となった。そして鴎外文学には前述したように擬古文調やら、翻案風の小説やら雑多だが、漱石には「吾輩は猫」の処女作以来、ただ一つ平民的な現代文風があるきりである。「余は云々」なんて文句は一つもみられない。「僕」「私」まれに「小生」である。この相違は鴎外よりも十年ばかり遅く文壇にでたという時間的原因もあろうが、同時に鴎外文学と漱石文学の相違でもあろう。
 周知のように、漱石は対照五年五十歳で胃潰瘍で死んだが、その年に未完作品「明暗」その前年「道草」さらにその前年「心」いま一つ前年に「行人」と、つづけざまに長篇を書いている。そしてこれらの諸作は、初期のものに比べると著しく暗くなり、江戸ッ子調が薄れてきている。啖呵ではなくても歯切れのいい華美さで単純にたたっきることが少なくなり、複雑で執拗になってきている。ハイカラでないことはないが、ひどく暗鬱だ。名作「道草」などでは新帰朝の青年学者である主人公は、学問の前途に希望を語るよりは、落魄した身辺の人と人との相克に溺没(できぼつ)してしまって暗澹たるものがある。「行人」の主人公はある大家の長男と次男であるが、作者は長男一郎という大学教授の神経衰弱を通じて、西洋文明の重荷をしょいきれず、やや宗教的で日本的な人生観に、その出口をもとめようとしている人物を描いている。漱石の事歴によれば、ちょうどこの前後が彼の「則天去私」を唱えたころで、当時の日本文学の一面をあらわしていると思われる。彼の苦悩が後期に至って益々つよく、その傾向は「行人」にも「明暗」にも「坊っちゃん」その他初期の形のととのった若さ単純さ華美さからは遠いものが、苦渋で乱れがちな構成にあらわれているようだが、いずれにしろ夏目漱石の文学は後進の私らが一度は読んで通りぬけねばならぬこぐらい密林であろうと思う。』


以上で、徳永直の小説勉強シリーズは終りです。最後までおつき合い下さった皆様、ありがとうございました!