ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

吉田秀和が語る中原中也4

昭和51年(1976年)11月に河出書房新社から出版された「文芸読本 中原中也」では、吉田秀和先生が寄稿された「中原中也のこと」と題された随筆を読むことができます。今回は吉田先生が中原中也を通じてクラシックの曲や詩について触れていた思い出を紹介した内容となっています。以下、『』内の文章は左記の本からの引用部分となります。中原中也の研究の一助になれば幸いです。

 

『 彼の書いたもの、いくつかの初期の詩をのぞいたそのほとんどが、私にはともすれば同じことのくりかえしに見えかねない。『汝が心かたくなにしてあらしめな』にしても、これは彼を離れていった女の人に歌いかけ、いや、世の中の人に歌いかけ、それに劣らず彼自身に歌いかけたものだろうが、それは、また、

  僕にはもはや何もないのだ
  僕は徒手空拳
  おまけにそれを嘆きもしない
  僕はいよいよ無一物だ

と、同じことをいってるのだ。ただ時々、彼は生の側にたったり、死の側にたったり、忘れの河をはさんで、いったりきたりする。
 彼の詩は、それがそこにある、というだけで倫理的でかつ生命的なものの核心にふれた詩が多いのだが、生活の方はそれだけではすまない。中原は、よくその中でしか物がいえない約束に苛立ったり、それでも詩と生活の調和を実現しようと努力したりする。そういう詩も彼には少くない。けれども、彼の詩の一番本質的なものは、それをつきぬけて、「宇宙との交感」とでも──いや「宇宙との交感」とこそ、呼べるようなものに達しようとしていた。そういう詩では、彼は、まるで生と死の中間の国にでもいるみたいに歌っている。』

 

吉田先生も、中原中也とその詩を理解する上での混乱がほどけ、詩を通じて彼の足取りを丁寧に追い始めていますね。大人と子供の極端な二面性を持つからこそ、生と死の中間に立てたのかもしれませんね。

 

『《朝の歌》は──『みちこ……そなたの胸は海のやう』や『時こそ今は、……花は香炉に打薫じ』や『臨終……秋空は鈍色(にびいろ)にして黒馬の瞳のひかり』などとともに──私が最も早く知り、今でも最も好きな彼の詩のひとつであるが、この詩は諸井三郎が作曲している。私はよく彼の所に泊り、また彼につれてゆかれた人の所に泊り、また彼も何度か私の宿に泊ったものだが(阿部先生の所は、奥さんのお産で、私は翌年の一月にはもう出なければならなかった)、そんなおりに私は、何度か、彼のこの歌を歌うのをきいた。

  天井に 朱(あか)きいろで
     戸の隙を 洩れ入れる光、
  鄙びたる 軍楽の憶ひ
     手にてなす なにごともなし。

  ひろごりて たひらかの空、
     土手づたひ きえてゆくかな
  うつくしき さまざまの夢。

 私は、いつか文字通り、雨戸の隙を洩れて入ってくる陽の光が天井にうつる影をみながら、彼の声をきいていたこともある。中原はだみ声だけれど、耳がよくて、拍子はずれではなかったし、ニオクターヴ声が出るといって自慢していた。

  小鳥らの うたはきこえず
     空は今日 はなだ色らし、
  樹脂の香に 朝は悩まし
     うしなひし さまざまのゆめ、
  森並は 風に鳴るかな

 天井にゆれている光をみながら彼の歌をきいていると、私には、小鳥と空、森の香りと走ってゆく風が、自分の心中にも、ひとつにとけあってゆくのを感じた。そうして、この倦んじた心、手にてなす何ごとも知らない心。私は、そこに、泰西象徴派の詩人のスプリーンより、中原自身の倫理の掟をみるのだった。動いてはいけない。あせってはいけない。~中略~
 歌といえば、中原は、よくヴェルレーヌランボーの詩をふしをつけて朗読してくれたし、そのほかにもバッハのあのすばらしいハ短調の《パッサカリア》が大好きで、よくあのバス主題を歌っていた。
 その中で、彼が私に最も好んできかせてくれたのは、あの百人一首の中にある、

  ひさかたのひかりのどけきはるのひに
   しづこころなくはなのちるらん

の一首だった。これを中原は、チャイコフスキーのピアノ組曲《四季》の中の六月にあたる《舟歌》にあわせて歌うのだった。楽譜でお目にかけられず残念だが、彼は、枕詞の『ひさかたの』は、レチタティーでやって『光のどけき春の日に』から歌にするのだったが、そこはまた、あのト短調の旋律に申し分なくぴったりあうのだった。私は、彼にかつて何をせがんだこともないつもりだが、できるなら、彼に、もう一度この歌をうたってもらいたい。
 私は、中原のあの独特の話しぶりや、黒マント・黒帽子の姿から、要するに、彼の肉体に接しられる一切合財を含めて、この歌をきいてる時が、いちばん彼の全体にふれてるような気がしていたのである。
 中原は、日本の俳句や和歌や近代詩について『どれも叙景であって、歌う人の思いが入ってないからだめなんだ』とよくいってたが、この和歌には、彼を通じて流れる宇宙の秩序みたいなものがあったのではなかろうか。
 詩とは、実に不思議な力をもったものだ。日本現代文学で目立つことのひとつは、多くの人に愛される詩人と詩に乏しいことだろうが、それは、現代日本人の精神と言葉とが、深い所で分裂してしまってる証拠ではなかろうか。それは、しかし、一国の国民が魂を失ったようなものではないだろうか。』

 

後年、吉田先生がクラシックが好きだった理由の一つに、こういった詩人との温かい出会いがあったからかもしれませんね。

 

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