ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

阿部六郎が語る中原中也12

阿部六郎氏が中原中也に言及している、または中原中也との思い出を書いた文章をまとめたものです。以下、『』内の文章は各書籍からの引用となります。中原中也の研究の一助になれば幸いです。

 


『八日
 岡本信二郎先生命日。


  わが死後のかゝる夕べをうつ浪のとどろくを聴く思して居り


 先生の百日忌の折この短冊を見つけて、中原中也の葬式の夕方、鎌倉の浜べで聴いた潮の底鳴りの音が蘇り、何か慄然とする感動をおぼえた。あとでわかつたところではこの短冊は或人の結婚の祝に書かれ、死といふ字があるのを遠慮されてそのまゝになつたのだといふ。
 ──潮はいまもとゝ゛ろいてゐるだらう。どうも不思議な歌だ。


 死にすべきいのちなるべしやかくばかりまばゆき空ゆ雪の降りくる


 一切が現在にこもつて生死の境も消えたやうな、その感動の一瞬の真只中から響きでた、こんな充実した声調がざらにあるものだらうか。前の歌ではうなだれて深い心の底に聴き入つてゐる沈んだ先生の顔が浮んでくる。この歌では、上を向いてまぶしさうな眼つきをしてゐる先生の顔から不思議な微光が放射してゐるやうだ。宇宙連関の中点にふれて鳴つた瞬間の無心。
 素人だつて、平常生死の大事に思を沈めてゐる心が折にふれておのづから鳴つた歌は貴い。いい歌をもつと沢山残されたに相違ない。私の編輯(へんしゅう)を託された遺稿詩集は出たが、歌集俳句集が戦争で流れてしまつたのは残念だ。』
 「歴史と植物──或る五月の手記──」より引用(昭和22年7月「短歌研究」から)阿部六郎氏の1945年(昭和20年)5月の日記を抄録したもの。


『一九三八年五月一日
 裸になりたいと思ふほど暑い夜だと思つて雨戸をあけたら、冷えびえする夜風が吹いてゐた。殆ど自分の思ひたいことを思ふ暇もないほど一年間の時間が約束されてゐるこの頃なのに、今夜は、思ふといはれたら床にでも入つてしまふだらう。学生の頃のやうな感傷が久しぶりでうづいてゐる。死んだものと生きてゐるものとに誘はれる。
 今日は牧子の誕生日で、明日は海紀夫の一周忌だ。
 『在りし日の歌』の中原の肖像。
 あの顔はどの詩よりも私を呼んだ。かさばる物の放擲(ほうてき)、脱出の夢が一夜私に憑いて眠らせなかつた。
 呼ばれて、寝たまま月明の空を飛んだのは二三日後の夜だつた。──私の幸福にひびが入つた。
 特別神様に可愛がられてゐるやうな気がすると言つた妻に涙を覚えた日を、生きてゐた中原は悦んだことだらう。死んだ中原は私からその悦びの無垢を奪つた。
 詩への焦心は詩への焦心にさへ通じた。
 これほど青い果のやうだ、私の生活は、愛情は。
 それでゐて言葉の殻の老硬さ。
 空しき時代は誰がための贈物ぞ。


 私は結局辛抱強く生きて行くだらう。せめて約定された私の時間にこの悲しみの果を生かして行かうと慰めるだらう。
 積極的といふことが心情に膜を張らせることにならないやうにならなければ、すべて空しき贈与だ。
 中原の喪失が心の喪失となつてしまつては。
 今夜これを開くまでは中原のことは忘れてゐた。あえかな夢がゆつかかつてゐた。


 昨日の昼は、炎のやうな若葉と花園に涙を浮べてゐた。肥つちよの蜂は故郷の日からの使者のやうだつた。母も五月。母の見ない花を私は見た。生きのびた子の土産はそれだけ。』
 「五月のロザリオ」より引用(昭和23年2月 金文堂版「根芹」から)


『私は夜に慣れすぎてゐた。
 いま不意に見舞つて来たこの恐怖は一体何ものなのだらう。──昼の間、冬晴れの日ざしがいたづらに穏かにぬくめてゐる空虚な部屋で私は自分の空虚をみつめてゐた。言葉は凍結してゐた。喋りかける子供を追放したりするほど、言葉は動かうとしなかつた。何ものかの刑罰のやうに。このやうな時、人は過ぎ去つた自分の青春を喰つて生きようとする。だが私の青春もまた結局空虚な自分を化粧しようとする可能の夢の欺瞞の連続ではなかつたのか。自分の表現は何か自ら知らぬものに誘惑されながら人を誘惑する苦しい曲芸ではなかつたのか。──しかしその否定も安値すぎる断定であるかのやうに、身に沁みては来なかつた。薄汚れたアフガニスタンの仏面が柱からいつも変らぬ謎の微笑を放射してゐた。一体どうしてこのやうに何もかも平気でゐられるのだ。
 
 ──吁!案山子はないか──あるまい
   馬嘶くか──嘶きもしまい
   ただただ月の光のヌメランとするままに
   従順なのは 春の日の夕陽か


 ふと中原中也の顔が浮んで来た。
 「ユニテを獲得した人は働かなくちや。」
 「一体何のために書くんだ。」
 「へえ、表現を完成するつてことが大したことぢやないつていふのか。」
 一体俺には何か調和みたいなものがとうにできゐるのに、それを羞ぢて、妙な意識でそれをぶちこわしたところに言葉を探してゐるのがあ禍の因ではないのか。
 「お前は自分で自分をいぢくり廻すからいけない。」
 もう言ふな。』
 「夜の恐怖」より引用(昭和23年11月「風雪」から)

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