ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

阿部六郎が語る中原中也15

下記の『』内の文章は昭和12年12月「文学界」にて発表された「中原中也のこと」を引用したものです。長かった阿部六郎中原中也との交友記録は今回で最後になります。長い間おつき合い下さった皆様、大変ありがとうございました!中原中也の研究の一助になれば幸いです。

 


中原中也のこと


 中原は不思議な泉をもつてゐた。生きてさへ居ればその泉からは新しい言葉が絶えまなく湧いて来た。それはいつも詩だけとは限らなかつた、憤りや呻きや命令となることがずゐぶん多かつた。さういふ風な言葉でもみな詩と同じ不思議な熱烈な泉から生れてくるのに相違なかつた。中原は決してアンデパンダンではなく、その泉は詩の王道とも言ふべきところ、いはば生命の中軸に近いところにひらいてゐるもののやうに思はれた。至つて素直な身近なところにあるやうに見えた。その普遍性を信じて物を言つてみるとまるで新約と旧約のやうに違つてゐた。中軸に通つてゐながらどこまでも特異なはるかな泉だつた。私はその場所を敢て突きとめようとはしなかつた。たゝ゛どこかで生きてゐるといふことに信頼してゐた。これが実に貴重な生きものだといふことは絶対に疑つたことがなかつた。この一つしかない泉がどこか知らないところで突然消えてしまつた。これで一体どこにどいういふ穴があいたのか、知つてゐる人は多くはあるまい。疑ひもなく実在した多量の秘密が歌に実証されぬままで散つて行つたといふのは儚い話だ。
 中原は本質的には魂の抒情詩人だつた。魂といふ倦き果てられた言葉が実際に生きてゐるやうな詩人は西洋にでも近代では稀にしかない。心とか精神とかいふのでは足りない熱烈で無意識で全的にみなぎる魂といふものが眼醒めた詩人は若い日本では中原が最初の人ではないかと思ふ。彼は新しく眼醒めた初々しい魂を抱いて索漠たる東洋の気層と文明都市を転げ廻つてはつらいつらいと言ひながら生命をかけた祈りと頌歌(しょうか)と悲歌をさりげない古風な格調に託し、愛情をもてあましては切なくも大審判をやつてゐた。信仰を口にするのが愧(は)ぢられるこの世紀に中原は真向から神を信じ、詩を信じ、生命を信じ、一元的な実在のよろこびを信じ、すべてさういふものの一元を信じてゐた。その一つのものにもぐり入ることが彼の念願だつた。言葉は変つてもこの単純な一筋の道への信仰は変つたとは思へない。中原は傲然たる信仰をもつて謙虚を説き、無意識を説いた。存在のパラドックスにこの新しい魂は狂ふばかりに翻弄されて焦り立つた。この単純な一筋の道はなまやさしいものではなかつた。嬰児のやうな魂に或は恩寵を歌ふために恵まれたのかもしれない豊富繊柔な感性は一度神の犠牲獣となつてはこの一の道の流血をどれほど無残なものにしたかしれない。彼は決して神秘論者や観念論者ではなく、飽くまで魂に活かされた肉身の持続で歌つた。しかしどこかで頌歌である彼の歌はどれもこれも臨終の歌だつたやうにも思はれる。中原は絶えず絶望の突端を渡つて歩いてゐた。さういふところまでコスミックな温い肉身の血が通つた中原の歌はたしかにかけがへのない日本の新しい声だつたのだ。


 近年、殊に鎌倉に移つてからは会ふことも至つて稀になつてゐたが、十年前に初めて会つてから、一頃は下宿もすぐ近くに越して来て毎日会つてゐた。文学上の交りといふよりはもつと人情的な交りだつた。一種天下一品の陶酔と悲しみにずゐぶん私は潤ほされたが、私の気の長い調子は度々彼を苛だたせたことだらう。「吾は甦なり。生命なり。人を暗きより出さんとて来れり」、中原はよくさう言つてゐるやうに聴えた。しかし私は廻り路に執着した。この夏、秋には教理に帰りたいからその前に一度会ひたいといふ手紙を貰つてゐたが、私は事に追はれて返事を怠けてゐた。先日どこかで会つたといふ友人から中原が「子供を亡くするとよく閉籠つてしまふ男がゐるものだが、阿部もさうらしいから慰めてやつてくれ」と言つてゐたといふ話を聞いて、私は中原の優しさに慚愧した。
 それから間もなく河上君から重態の知らせを貰つた。夜になつて鎌倉に駆けつけたが、大きな声で呼んでも何も分らないらしかつた。ずゐぶん苦しさうな呼吸だつた。ふと、左の指で煙草を摑むやうな格好をした。右手で何か虚空に字を書いてゐるのに気がついた。私は堪らない気持がした。十一時近くに別れたが丁度家に着いた頃に臨終だつたのだ。』


 阿部六郎氏には、ご息女である小野子様を通じて中原中也記念館に寄贈した中原中也からの手紙が一通ほどあります。
 中原中也記念館が発行している中原中也記念館館報第5号には小野様のお父様である阿部六郎氏との思い出が掲載され、一番最後に中原中也阿部六郎氏に送った手紙の全文を読むことができます。


 個人的には、小野様の思い出も実に興味深くお父さんと一緒に佐藤春夫中野重治の講演を聴きに行ったお話しをされており、時代を感じさせます。中也のお手紙だけでなく、こちらも是非、読んでみて下さい。
 また、館報はpdfファイルになっているのですが、容量が大きいため、スマホからではなく、PCで読むことをお薦めします。


 それでは、長かった阿部六郎中原中也の交友を語るのもこれで最後です。ここまで読んで下さり、ありがとうございました!