ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

小林秀雄名言集1

新潮社から出版されている全28巻からなる小林秀雄全集から、名言をまとめてみました。小林秀雄を読むきっかけ、あるいは小林秀雄の研究の一助になれば幸いです。以下、『』の内の文章は左記の全集からの引用となります。また、()内には引用した作品名を記載しております。

 

・『結局は頭で胡麻化(ごまか)して終う癖に、何事にでも妙に懐疑的にこだわって、ツッつき廻さねば承知しない──』(蛸の自殺)

 

・『妙な圧迫を感じ初めた。星がグーと近くなって、其の重さが一時に自分の身体に落ちて来た様な感じであった。急に息苦しくなって、彼は自分の心臓の鼓動を感じ乍ら、逃げ場所を捜す様に本能的に四辺を見廻した。』(蛸の自殺)

 

・『お前の頭の何処かには必度(きっと)神様を握(つか)もうと云う願いが在るに相違ない』(蛸の自殺)

 

・『葬式の済んだ晩、母と妹と三人で黙りこくってお膳を囲んだ時の、三角形の頂点が合わない様な妙にぎごちない淋しさ。』(蛸の自殺)

 

・『挨拶が済むと、奥さんの唇が動き初めた。それは謙吉に、金魚が麩(ふ)に食い附く様子を聯想させた。』(蛸の自殺)

 

・『死という事実を目の前に見せつけられた事は同じであるが、其の感じ方は自(おのずか)ら異って居なければならなかった。』(蛸の自殺)

 

・『雨は上って居たが空は真黒だった。海の匂いのする微温(なまぬる)い空気が、飽和した水蒸気の様に街を満たして居た。少しの風もない。人通りも無い。謙吉はふと、傍にお魚が泳いで居やしないかなと云う気持がした──。』(蛸の自殺)

 

・『腹と腹とを近づけた二つの船の間で波が重そうないい音を立てて鳴った。』(一ツの脳髄)

 

・『会話の言葉に幻惑されてその中の電気を感じないからそう言う事になる。』(断片十二)

 

・『拙劣(せつれつ)だと思い乍(なが)ら、感心する作品が世の中には事実在る。』(断片十二)

 

・『幾重にも重った波の襞(ひだ)が、夏、甲羅を乾した人間の臭いを、汀(みぎわ)から骨を折って吸い取って居る。鰹船(かつおぶね)の発動機が、光った海の面を、時々太鼓の様に慣らした。透明過ぎる空気が、煙草を恐ろしく不味(まず)くして了(しま)う。前の晩に食べ残した南京豆が袂(たもと)から出て来た。割れば醜い蛹(さなぎ)が出て来そうだ。私は、琥珀(こはく)の中に閉じ込められて身動きも出来ない虫の様に、秋の大気の中に蹲(うずくま)って居た。』(女とポンキン)

 

・『「タゴールって──」、海は燦然(さんぜん)として静かであった。』(女とポンキン)

 

・『或る朝、私は、海岸を歩いて居た。前の晩の嵐の名残りで、濁った海の面は、白い泡を吹いた三角波を、一面に作って居た。冷い、強い風を透して、黄色い壁の半島が慄(ふる)える様に見えた。月の様に白く浮き出した太陽の面を、黒雲の断片が、非常な速力で横切って居た。』(女とポンキン)

 

・『低気圧の日、時々雨が降る。鼠色の層雲の下に総(すべ)ての景色が水蒸気をはらんで美しい。』(紀行断片)

 

・『烈風と、血を流した様な断崖と雪の様な飛沫と、鉛の様な雲と、黝(くろ)い海と、塩で半分漂泊されたビロードの様な野。』(紀行断片)

 

・『外は、波の音と風の音、火を盛んに燃した。二人は赤い火を見乍(なが)ら色々話した。火が消えれば小屋が忽(たちま)ち圧(お)しつぶされる様な大気の層を感じた。』(紀行断片)

 

・『あらゆる天才の存在というものは、社会に対して一つのアイロニイとなる。』(佐藤春夫のヂレンマ)

 

アイロニイ・・・皮肉のこと。または、当てこすり。

 

・『性格とは顔である。それは画家の仕事だと言うのか?然(しか)し、黙って坐っていた兵隊が口を開いた途端、画家の観念は、忽(たちま)ち小説家のイリュージョンに移調されて行く事を如何しよう。而(しか)も、会話から会話者の行動を取り去ったあとに一体何が残るか?性格とは行動である。』(性格の奇蹟)

 

・『処で君は人間を描こうとするのか?よろしい、描いて見給え。屹度(きっと)心臓を描く事を忘れるから。幽霊を描こうと思うのか。よろしい。屹度足が生えるから。』(性格の奇蹟)

 

・『真の芸術家にとって、美とは彼の性格の発見という事である。』(性格の奇蹟)

・『あらゆる世紀の文学は、常に悲運の天才を押し流す傍流を生む。蓋(けだ)し環境の問題ではないのである。或る天才の魂は、傍流たらざるを得ない秘密を持っている。』(ランボオⅠ)

 

・『如何(いか)に倐骨(しゅうこつ)たる生命の形式も、それを生きた誠実は、常に一絶対物を所有するものだ。僕は、彼の遺した作品の僅少(きんしょう)を決して嘆くまい。』(富永太郎

 

倐骨(しゅうこつ)たる・・・あっというまの。

 

・『芸術家は、みんなが忘れている事に気がつく人間だ、と。然(しか)しこれ以外に芸術家の仕事は断じてないという事は多くの人が忘れている。』(測鉛Ⅰ)

 

・『だが詩歌とは畢に鶯(うぐいす)の歌ではない。やがて強烈な自意識は美神を捕えて自身の心臓に幽閉せんとするのである。』(「悪の華」一面)

 

・『詩人は何を歌わんとするか?彼の魂には表現を要求する何物も堆積していない、何故なら彼は一つの創造という行為の磁場と化したから。』(「悪の華」一面)

 

・『あらゆる芸術は畢に死す可きだ。否最後の一行を書き終った時彼の詩は死す可きだ。芸術家とは死を創る故に僅(わず)かに生を許されたものである。刹那が各人の秘密を抱いて永遠なる所以である。』(「悪の華」一面)

 

悪の華」一面は、詩人であるシャルル・ボードレールの詩集「悪の華」についての解説です。ボードレールは、中原中也と同じく生前に詩集を一冊しか出さず、死後に評価された詩人です。ボードレール存命中は出版した「悪の華」に収載された幾つかの詩が発禁処分を受けるなど、しています。ですが、彼が創った絶望的で頽廃的な詩に小林秀雄は深く魅了されこの作品では、『「悪の華」一巻はこの数年来、つまり僕の若年の決定的一時期を殆ど支配していたと言っていい。』と書いています。

 

・『遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思索の唯一の武器は、依然として昔乍(なが)らの魔術を止めない。』(様々なる意匠)

 

・『強力な芸術も亦(また)事件である。』(様々なる意匠)

 

・『然し芸術家にとって芸術とは感動の対象でもなければ思索の対象でもない、実践である。作品とは、彼にとって、己れのたてた里程標に過ぎない、彼に重要なのは歩く事である。』(様々なる意匠)

 

・『詩人が詩の最後の行を書き了(おわ)った時、戦の記念碑が一つ出来るのみである。記念碑は竟に記念碑に過ぎない、かかる死物が永遠に生きるとするなら、それは生きた人が世々を通じてそれに交渉するからに過ぎない。』(様々なる意匠)

 

・『たとえ私が詩人であったとしても、私は私の技巧の秘密を誰に明かし得よう。』(様々なる意匠)

 

・『氏の作品を語る事は、氏の血脈の透けて見える額を、個性的な眉を、端正な唇を語る事である。』(志賀直哉

 

・『成る程志賀氏の文体は直截(ちょくせつ)精確であるが、それは或る種の最上の表現がそうである様に直截精確であるに過ぎないので、ここに氏の細骨鏤刻(るこく)の迹(あと)を辿ろうとし、鑿々(さくさく)たる鏨(たがね)の音を聞こうとするのは恐らく誤りだ。』(志賀直哉

 

鏤刻(るこく)・・・絵や文字を木や金属に刻むこと。そこから転じて、文章および字句の推敲や修飾することの意。

 

・『人間が人間の事しか笑わないというのは、人間が人間達と一緒に暮していなければ笑わないという事だ。一人っきりで笑う奴はない。思い出し笑いとは二人で笑う事である。』(ナンセンス文学)

 

・『私は私の愛している人を笑う事は出来ない。私はその人に対してほほえむだけだ。』(ナンセンス文学)

 

・『微笑は何んの武器をももっていない。微笑する人には、何の不安もない。そこではただ生命の花が開くだけだ。子供は大人より笑う事が拙劣で、微笑する事が上手である。子供が美しい所以である。そして又すべての人間の美しさは子供の微笑に胚胎している。』(ナンセンス文学)

 

・『彼が創作の各瞬間毎に依然として無限の前に手を振らねばならないとは一体どうした筋合いのものだろう。』(アシルと亀の子Ⅱ)

 

中原中也の詩の一節にある「無限の前に腕を振る」を思い出す文章ですね。

 

・『作家は功利的目的を目指す事は出来ない、目的を所有するのみだ、丁度人の目指す幸福なんてものが世の中にはない様に、人に所有された幸福だけがある様に。』(アシルと亀の子Ⅱ)

 

・『如何に客観的に描かれた小説でも、優れた小説には常に二重の目が光っている。作中人物の眼と作者の眼と。』(文学は絵空ごとか)

 

・『正宗氏の作品で、私が動かされるのは、氏独特の文体である、調子である。氏の文体は、勿論豊かでもなければ、軽快でもない。併し又、素朴でもなければ、枯淡でもない。氏の字句の簡潔は、磨かれた宝玉の簡潔ではなく寧(むし)ろ、捨てられた石塊の簡潔だ。私は、氏の文体の強い息吹きに統一された、味も素気もない無飾の調子に敬服するのである。』(文学は絵空ごとか)

 

以上、上記文章は全て「小林秀雄全作品1 様々なる意匠」より引用しました。

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