ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

中原中也書簡集

中原中也に人生を捧げたグッッドルッキングガイこと安原喜弘宛、以外の中也の書簡を紹介しております。以下、『』内の文章は河出書房新社が1976年に刊行した「文芸読本 中原中也」より引用したものとなります。中原中也の研究の一助になれば幸いです。

 


富永太郎


 大正十四年四月三日


 早大の方が面白くないから日大にも願書出して今試ケン場行つたが三十分ばかり遅刻して入れて呉れない。
 これでもうおしまひ(だらう)といふものさ。
 相当ヘコタレたから昨晩小林所へ遅くまでゐたんだがまた今這入られる試験場より小林所へ行く、今電車の中。隣席の御婦人が俺の書くのを見たがつてゐるから、「サアサア御覧なさいよ」といつてやつた。ーとかう書くのさへ奴は見てるんだ。
 「字がお上手でございますわ。」ーホラ、今こんなに云ったよ。ーと書くのをみていよいよ吹き出しやがつた。』


小林秀雄


 昭和三年一月三日


 考へながら書かなくつちやならない。考へて置いたことを書くと、考へる時目覚ましく考へたこと程却てムラムラにしか書けない。一度考へたことを思ひ出さうとすると箇条的に而も不順当にしか浮んで来ない。そして矢接早(やつぎばや)に「食用蛙みたいぢやないか。」なんて言つてしまふ。ーかういふ欠点は僕の生活のあらゆる場合に現われる。純粋持続は孤独の形式でしかないといふことは、僕に於ては余りに現金に働らく。生活(対人圏)は空間的であるから、然るに僕が真に語りたいことは純粋持続の中で考へる所のことだから、僕はそれを箇条的に不順当に思ひ出しながら語らうとするのだ。そして僕は何時も支離滅裂なんだ。ー時として、河上は僕のその支離滅裂な行為の一と鎖を取り出して、僕の人柄の直接的な象徴と考へるらしいのだが、いやはや残念な話で、かくの如くにして幼時より学校を経て今日に至るまで、ある時は善人とせられ或る時は鬼と評価されたのであつた。(中略)
 僕は時分をばかり語つたが、僕にとつては哲学をすることでもある。そして僕にとつては一番真実であり、君は僕に真実を語らせることが出来るから、僕は君に随分感謝してゐるのだ。そしてこの感謝は、僕は時分を未だ常に未完成だと思つてゐるので、余程強烈だ。(抜粋)』


河上徹太郎


 昭和三年


 僕は僕の今年を、ーいいえ、僕の従来を、謝りに君のとこへもいかなくてはならないので、三十日午後ゐてくれたまへ。勿論神様に謝るのだが……その辺を、ああ混同しなけりや好いが。
 人は旧約人として生れる。そして新約人として詩人であり得たのはヴェルレエヌきりだつた。そのことが僕にもどうやら体得出来さうだ。ーありがたいー
 (文化史家が、前者を観念上で東洋的といひ、後者を観念上で欧羅巴的といつてゐるのさ。)(抜粋)』


小林佐規子(長谷川泰子)宛


 昭和四年六月三日


 今晩僕は非常に豊な気持になることが出来ました。で僕はそれについて、あんたに語りませう。(中略)
 恐いのは、遂に時分を見失ふといふことです。見失つた人は意味(言葉)が解せなくなる。そして遂に、たとへばあんたのやうな一番根がある人が、一番根のない時間を過ごし、そして温(おとな)しくも自分は根がないなと何時の間にやら信じずることです。そしてもう何もかもが判然掴めなくなる。(中略)
 あんたのやうな純粋な人が、自分自身であり得たら、一番楽に何かが表現出来るのです。何故といつて表現とは普通に考へるやうに描写することでは断じてない。表現とは自分自身であることの褒賞であつて、人が好いことに引きずられて外物本意に生きてゐると、人は何か現はしたいなと思ふや所謂描写を予想することになるのです。その結果意味のない風景配列をするのです。
 自分自身でおありなさい。弱気のために喋舌つたり動いたりすることを断じておやめなさい。断じてやめようと願ひなさい。
 そしてそれをほんの一時間でもつづけて御覧なさい。すればそのうちきつと何か自分のアプリオリといふか何かが働きだして、歌ふことが出来ます。
 実に、芸術とは、人が、自己の弱みと戦ふことです。その戦ふ力が基準となつて、諸物に名辞なりイメッヂなりを与へる力です。


 それにしても、詩人の素質を立派にもつたあんたが、そのことを自識してゐず、自分は或る方面から非常に善い存在だがなあと薄々分りながら、その存在を発揮することが出来ず、今はや随分消極的な気持になつてゐることは、惜しむべきです。ー尤もそれでも、あんたの無意識は立派で、僕が悄気てゐる時にも、あんたが一番純粋な根のある眼で眺めてゐました。
 僕は物が暗誦的に分らないので、全然分らないので、自分がながあれると何もかも分らなくなるのです。けれども、僕は分らなくなつて悄気た時、悄気ます。人のやうに虚勢を張れません。そこで僕は底の底まで落ちて、神を掴むのです。
 そして世間といふものは、悄気た人を避ける性質のものです。然るに芸術の士であるといふことは、虚偽が出来ないといふことではないか!
 そしてあんたは虚偽では決してないが、恐ろしく虚偽ではないが、自分を流してしまひます。そしてあんたの真実を、嘗ては実現しませんでした。
 が、どうぞ、沈黙で、意志に富み、(外物を)描写しようといつた気分からお逃れなさい。そしてどうぞあんたのその素質を実現なさい。
   打つも果てるも火花の命。
    千九百二十九年六月三日
         あんたに感謝する
               中原中也
 佐規子様                           (抜粋)』