ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

中原中也の対談

中原中也の対談抜粋を紹介しております。以下、『』内の文章は筑摩書房が1988年に刊行した佐々木幹郎著「中原中也」より引用したものとなります。中原中也の研究の一助になれば幸いです。

 


★下記の対談は、文語詩における当時の詩人達(昭和初期)の考えと中原の文語に対する認識の違いが分る対談です。また、対談の後に佐々木先生の見解についても併せて引用しております。尚、対談中の註は佐々木先生の手によるものです。


『「詩精神」昭和十年一月号に掲載阿された昭和九年の詩壇を回顧する「詩人座談会」がそれで、これには中原も出席しており、出席者立ちとの間で彼の文語使用の理由が次のようにやりとりされている。土方定一北川冬彦、遠地輝武、岡本潤中原中也小熊秀雄、植村諦、草野心平が出席メンバーで、この雑誌はプロレタリア作家同盟解散後の「唯一のプロレタリア的傾向の半同人誌」(北川冬彦「一瞥の中原中也」)であった。ちなみに中原の第一詩集『山羊の歌』は昭和九年十二月に出ている。


 土方 中原君の詩には古典的な言葉が使つてあるやうですが、例へば「文藝」の詩(「文藝」昭和九年六月号に再発表された作品「臨終」のこと。これが最初に発表されたのは「朝の歌」と同じ昭和三年であるー引用者註)のやうにああいふ古典的な言葉、情緒(三好達治君も書いてゐますが)あれに就いてどうお考へですか。
 中原 僕はちつとも古典的ぢやないと思つてゐます。テニソンはああ云ふ風には書かないでせう。ドーミエが近代的だといふ意味で近代的だと思ひます。
 土方 僕の古典的といふ意味は言葉が日常語でなく、文語的だといふ意味です。
 中原 (筆記一部脱落)一度解体して見えた今の自分を現はしてゐるんです。よくないのは古典的といふよりもマンネリズムです。いつもト書が決つてゐる。ト書に出てくる月は昔のままの月だ。僕のはさうぢやない。
 土方 文語を使ふという詩的内容が問題になると思ふな。
 中原 それは靴下に髪を吊した絵がありましたね。靴下も髪も昔からある。あれは材料ですからね。材料で何を作るかで決る。
 土方 文語といふのは、さういふ意味の材料ぢやないでせう。
 遠地 文語を使ふといふことはイデオロギーと関係してくるんぢやないかね。
 草野 それとも関係してくるが、散文詩はツルゲネフも書いたし、中原君がああいふ口調を使ふことは、その場合一番適切だからで、彼が文語使用者ではない。文語を使ふから古典的だとか、さういふことは言ひ得ない。十年後五十年後現代使用してゐる言葉と文語と、そして現在でも場合によつてはどつちがホントであるかに就てしづかに考へてみたい。文語や口語の問題ではない。と同時に……
 中原 人をほめて笑ふこともありますからね。
 土方 僕達は文語といふものを使へば矢張さういふ言葉を使はざるを得なかつた詩的内容に疑問を持つ。
 中原 それは負けたんぢやない。
 遠地 さつきレーニンの論文は翻訳で読んでも詩を感じるといつたね。あの邦訳文は漢文口調の変なものだけれども、あれから詩が感じられるといふのはイデオロギーが関係してゐるからで、中原君の詩に文語がまじつてゐるとしても、それは問題でない。問題はどれだけ現実にぶちあたつてゐるかに在るのだから、若し文語が交つてゐてもぶちあたる力が強烈であるならそれでよいだらう。
 草野 俺の云ふのは、その人はその人の思想内容なり感情なりをその場合々々に応じて一番適切な言葉をもつて現はす、そのリアリテを考へる文語が強烈に響く場合は無論それでいいのだ。
 植村 そんなレアルがあるか。それではみんな自分の考へた通りに書いてゐるといふだらう。それぢや自然主義もロマンチシズムもみんなレアルになる。主観が厳密な客観の批判に堪へ得るところにレアルがある。
 中原 が、自分といふものは目がさめたらゐたんですからね。
 長く引用したが、ここには中原中也の個性的な面貌が躍如としているからである。出席者の中で比較的まともな発言をしているのは草野心平だが、その彼が中原の詩に肯定的な評価を下そうとしているのに対して、「人をほめて笑ふこともありますからね。」とからんでいる。なるほど生きている間の中原が他者と論争するとき、「論理が対手次第で、どうにでも変えられるものであること、いや、そもそも対手なしに考えられぬのが、彼の思考の型であること」(大岡昇平「京都における二人の詩人」)がよくわかる例である。


 それはともかく、文語詩についてのこの場の位置付けられ方は、文語使用そのものが時代錯誤的であるということ(土方定一の「古典的」をこう解釈してよいだろう)と、詩的内容が「どれだけ現実にぶちあたつてゐるか」が問題であるということの、二つの意見に象徴されているだろう。どちらの意見にも宿されているのは、明治末年以来の口語自由詩の必然性が彼らの日常生活に即して認められているということであり、その口語自由詩の可能性に対して楽天的な信仰があるということである。その上で文語については、詩的内容を口にしながらも、昭和初年代の文学運動を主導したプロレタリア・リアリズム論に乗っかった形で、「イデオロギー」という外在的な理念で対処しようとしていることだ。草野心平はそれに対して、本当は何も言ってはいない。彼が言い続けているのは、文語使用の位置付け方ではなくて、中原の作品が文語詩とだけ見られることへの反論である。


 中原はここで、出席者達にはうまく届きようのないような感覚的な発言の仕方で、文語使用が彼の中でかなり意識的なものであることを告げている。~中略~彼は、「一度解体して見えた今の自分を現はしてゐるんです。」と言っている。文語は中原にとって素材であって、その素材の中に見出せるのは「一度解体して見えた今の自分」だというのである。』