ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

正宗白鳥が語る田山花袋1

筑摩書房様が出版された「現代日本文学全集21 田山花袋集(二)」より正宗白鳥田山花袋論の現代語訳を以下に全文記載します。かなり長いのと、最後は「少なくとも私自身の初期の小説なんかは消えて無くなれと思っている。」で締められている寄稿文です。包み隠さず、事実を事実として書いているので、読んでいて厳しい、きついと感じられる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、時々文章の間からひょっこり思想の根底に敬愛をにじませてくるので、結局、正宗白鳥のことが憎めども嫌いになれない。実に、計算している訳ではなかろうに、あざとい文章を書かれています。正宗白鳥はずるい。そんな気さえしてきます。

 


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田山花袋
    正宗白鳥


 田山花袋氏晩年の長篇「百夜(ももよ)」「恋の殿堂」「残雪」の三種を、私は続けて読んだ。以前は親しみの深かったこの作家の小説にも、記念は遠ざかるようになり、これらの三大作をも、今度はじめて読んだ訳なのである。このうちの「百夜」は、花袋氏最後の長篇小説であるが、「福岡日日」に連載されたきりで、氏の逝去後二周年を経過した今日、まだ一巻の書にまとめられていないのだから、私はある所に保存されていた新聞の切り抜きを借覧することにした。世に忘れられている作品、埋没されている芸術を、独りで鑑賞しているような興味があった。一生を通して創作欲の旺盛であった作者の最後の作品はどんなものであったか。思想的に見て、死に近づいて光明を得たのであろうか。心が円熟していたか。萎縮していたか。私は記憶に深く刻まれている花袋氏生前の面貌を思い浮かべながら、この長ったらしい小説に現わされている氏の心の動きを見続けた。
 「百夜」には、この作者が数十年来取り扱って来た人間愛欲の諸相が丹念に描写と云うよりも記録と云った方がいいかも知れない。それも、くどい記録である。愚直と云っていいほどに、自分の感想を覆うところなく打ち明けているので、「沢山」だと、読者たる私は、作者の愛欲感に食傷する思いをした。今日の時世に、ー政治経済軍事に関して逼迫した現実が渦を巻いて、三勇士や憂国の志士が続出している今日ー男女の愛欲を全生命としている小説なんか読んでいると、時代離れしているようである。同じ男女の情事を書いても、もっと陽気に、もっと美しく、もっと劇的に映画的に、所謂「小説」らしく描いたのでなければ、世上の小説読者に喜ばれないに極まっている。私自身にしても、これ等の小説は芸術を欠いているように思った。「下手だなあ」と思った。花袋氏は、明治文学史に最も巨大な印象を留めた作家であるに関わらず、大多数の作品を残した作家であるに関わらず、最後まで小説道の名人にはなれなかった。三種の大長篇を読んでいるうちに、表現のうまさに感動したところはなかった。どの小説にも主要人物として現れ、「死よりも強く」愛されている女の描写にしても、「ぱっちりした黒瞳勝(くろめが)ちの眼」とか、「白い腕、すき透るような肌」とか、「赤く熟した桃の実のような色をした唇」とか云ったような、形容詞がいつも用いられているだけで、その女の姿形がいきいきと紙上に活躍しているのではない。美しい女の美しさが絵の如く描かれているのではない。芸者生活を描きながらその社会の空気が濃厚に漂っているのでもない。鏡花・荷風、或いは里見淳の芸者小説に於いては全く求め難いのである。昔、氏は、「要するに私は野暮であった」と告白して、他の笑いを醸したことがあったが、氏の作品は終始一貫して野暮ったかった。芝居の人物で云ったら、氏の役どころは佐野治郎左衛門か縮緬新助であると思われないでもない。芸者の言葉にしても、洗練された味わいは含んでいないで、田舎くさくて粗野である。だが、そういう芸術的欠点に満ちているに関わらず全部が誠実なる人生記録であることに於いて、他の作家の芸術を圧しているのだ。「百夜」「恋の殿堂」「残雪」には、氏の一生の愛欲生活のすべてが収められている。氏の文学の集大成と云っていい。「野の花」や「名張少女」のような可憐な優しい美文小説の境地から一転して、「蒲団」以後の所謂「無技巧の現実暴露」小説に熱中した花袋氏の文壇に於ける働きぶりは、明治以降の文学史のうちでは壮観を呈していたと云ってもいいのだが、しかし、氏の一生の体験を集めた、内容の充実した作品としては氏の名声の盛んであった頃、気を負って書いた幾多の作品よりも、晩年の「百夜」などの、記録的長篇を推すべきだと思われる。ここには、愛欲の陰影がいろいろに現れている上に、当人以外に子女の恋愛のもつれが起こっているので、人生が複雑になっている。この作者が自分の子供の情事についても遠慮なく解剖のメスを揮(ふる)わんとしたのは、主義に忠実なる訳であるが、それは十分に功を奏してはいない。功を奏してはいないが、作者ー小説中の主人公ーの心の悩み、生存上の葛藤が二重にも三重にも面倒になっていることが分かって、私にも生きた人間の世の知識が与えられるのである。世上の多くの家庭、多くの人々の生活の実相を暴露したら、この作者の心と共通したものが案外多いのではあるまいか。従って、これ等の小説は浮き世離れした閑文字であるどころか、我々の現実生活に肉迫した分子に富んでいるのである。私は読みながら、絶えず自分や自分の周囲を顧みた。

「百夜」は、島田と名づけられた主人公とともに、悲喜哀歓を続けて来た芸者お銀が、鏡に映るおのが姿に老いの影の差して来たのを感じ、男の気休めの言葉なんか耳にもかけず、「自分が何だかちょっとも知らずに、ただそういうものだから、そうして通って来たと云うより外何もなしに盲目でやって来たようなものですもの」と、おのが一生を回顧するところからはじまっている。彼女は震災で無一物になったのを男に助けられて、郊外に借家をして、両親と微かな暮らしを立てている。島田はそこへ通っている。  彼島田は、震災の三日目に女の身の上が案じられて、火のまだ燃えている中を、やっとのことで、大川の橋杭の上を伝って危険を冒して女の行方を捜し、十時間も川水に浸かっていたにも拘らず、どうにか命だけは助かって、浴衣がけで震えていた彼女を見つけて、互いに涙の対面をしたのであって、二人の仲は並大抵の仲ではなかった。
そういう関係の女の所へ人目を避けて通って行く男の幸福は、昔から詩に唄われ、絵に描かれ、中本仕立ての小説に述べられて、私などもその境地を想像しては羨望するのであるが、島田対お銀の実際は、「椿姫」や「マノンレスコ」や、春水や鏡花の小説にあるような場景の現実化ではなかった。持って生まれた美貌もシミや皺に腐蝕されだした女と、白髪の老翁との情事であるから絵に描いてもあまり美しくはない。序を追うて起こる島田老人の感想には、真実の経験から生み出されたものであって、真実によって裏打ちされた恋愛哲学、人生哲学と云ったようなものが現わされている。
 田山氏は、素質が乏しかったためか、事故の経験自己の夢想を渾然たる芸術として表現し得なかったが、誠実と根気と体力とによって、自己の感得したものを、兎に角文字を通じて現わすことを得た。「かれも自分達の恋愛の総決算がいつかは一度必ずやって来ることを思わずにはいられなかった。敢えて古い歴史を持ち出すまでもない。今現にそこにもここにもそうした恋の址(あと)がある。……何なにしっかり、心と心とを合せていたとて、その址(あと)になる時はきっと来る。《そうして見ると、恋というものは火花を散らす時だけのものか。その時だけを尊重して、あとは金屑として捨てて去るべきものか。……執着ならまだ好いけれども、それを通り越して、ひとつの習慣というものになりつつあるのではないか》」と反省したり、「彼は平生、金は単に金だとは思ってはいなかった。金はすなわち心だ。男が女に対してその心をあらわす唯一のものだ」と痛感したり、ついに「恋と死」というところまで達している。大抵は中途半端な所で留まっているからいいようなものの、恋愛も徹底すると、「死」と結びつかなければならないのであろう。
 その究極の境地を、田山氏は、最後の長篇「百夜」に於いて、いろいろに手を尽くして描こうとした。描写の筆は硬張(こわば)って自在に動き得なかったが、恋の究極を表現しようとしたのは事実だ。「若い時には、この恋と死とが割然(かつぜん)と二つにわかれていた。恋は恋、死は死という風に考えられていたの。それが中年になればなるほど、次第にその離れていたものが近寄って来て、今ではその二つの問題がぴたりとひとつになって、かれの前に現れた。」「……十年前にあっては、死はまだ一つの空想であり、ひとつの幻影であり、またひとつの思想であったけれども、今ではもはやそう間接なものではあり得なくなった」と云っているのは、愚かな情痴の現れてとして蔑視すべきものではないかも知れない。完全に相手を所有するためには、「恋愛を墓場の向こうまで持っていかなければならない」田山氏の自然主義的恋愛も、ついに中世紀風の宗教味を帯びて来ていたのに、私は興味を覚えた。「二にして一、一にして二」は氏がいろいろな場合に云っている生存のモットーである。女の魂を完全に掴むことの困難を氏は屡々(しばしば)嘆息しているが、氏の人生生存の第一義的意義は、女人の魂の完全なる確保に在るので、ダンテやゲーテの「永遠なる女性」も要するにそれなのである。

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