ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

正宗白鳥による谷崎潤一郞と佐藤春夫人物評伝2

中央公論社から出版された正宗白鳥の「文壇人物評論」から「谷崎潤一郞と佐藤春夫」の現代語訳を以下に全文掲載しております。手前勝手な現代語訳であるため、正確性に欠ける点があるかもしれません。その点につきましては、ご了承ください。また、正宗白鳥のこの本における章タイトルは間違いなく「谷崎潤一郎佐藤春夫」なのですが蓋を開けてみたら、「佐藤春夫谷崎潤一郎」の順番で綴られているため佐藤春夫パートのラストから谷崎潤一郎への移り変わりをお楽しみ下さい。

 



「武蔵野少女」は小説として充実してはいないが、作者が広い世界へ足を踏み出して、あたりを見渡しているような感じはした。長篇小説の通俗化した今日、この新作にはまだしも芸術味が豊かでるとして注目していいのである。佐藤君はこれからどういう風に進んで行くか知らないが、氏が昔から持っていた奇談怪説趣味よりも、田園都会の憂鬱系統の方面で、氏が大成することを私は望んでいる。佐藤君が十数年の間に変化し発展し、或いは同じ事を繰り返していることを考えるにつけ、私は、谷崎、志賀、里見、武者小路実篤ー概して明治文学を受け継いで、それぞれの特色ある新文学を産出した大正時代の才人の文学過程について考えた。明治から大正に移ると日本の国運の進歩とともに、文学も進歩していることは認めなければならない。経済的にも、大正時代は前代よりも遙かに恵まれていたのだから、絢爛たる芸術の華が開いたのも当然なので、この時代に活躍した人々に比べると、貧乏しながら文壇の地ならしをした明治の文学者は余程割りが悪かったのだ。
 牡丹の花のような絢爛な色彩を有った芸術家は、古来日本には乏しいので、明治以来では、紅葉山人でなし、泉鏡花でなし、里見弴(さとみとん)でもなし、佐藤春夫でもなし、やはり、谷崎潤一郞である。枯淡とか簡素とか哀愁とか瀟洒とか気品とかの味わいを有った作家は多いが、絢爛の美を有った作家は少ない。絵画の方では鑑賞者の目を眩惑させる豊麗なものがあるではないかと云うかも知れないが、あれは絵具の力でごてごてしたケバケバした色を出しているだけなのだ。日本の文字は日本の絵具とは違って、絢爛豊麗な感じを、外形だけでも現わすに適しないように思われる。
 谷崎君は、新作家として類い稀な派手な色彩を発揮したために、異常に火歓迎されたが、ああいうものは早く凋落するだろうと、我々には思われていた。氏には、はじめからロマンチックな幻想を喜び、怪奇な探偵的事件を悦ばしがる傾向があって、この点佐藤君と趣味を同じくしていたらしく、「李太白」や「指紋」のような佐藤君の初期の作品を称讃して、雑誌へ紹介の労を取ったりしたのは、永井君が谷崎君の作品を引き立てたのと揆を一にしているのである。ロマンスらしいロマンスの乏しい新日本の文壇では、「李太白」や「指紋」も珍しいものにはちがいないが、しかし、佐藤君の幻想や怪異趣味の方面の作品は大したものではないと私には思われている。佐藤谷崎両氏の文学的素質の甚だ異なっていることは、前述の私の批評によっても察せられる訳である。両者とも芸術派でありロマンチストであるといわれないことはないが、そういえば、小川未明君だってロマンチストである。
 派手なものは早く凋落するのを例としているのに、谷崎君の芸術は、我々の想像に反して凋落しなかった。数多の作品を発表しながら読むに堪えないような駄物は、殆ど一つも出していないのは、外の作家に例のないことでえある。だが、平凡な群作家の間に立って鬼面人を脅かしていた趣もあった。華多くして、まことの乏しい憾み(うらみ)があった。人工の妙天工を奪っているともいえるが、谷崎君の初期の作品は、技巧の力で嘘をまことらしく描いたというよりも、嘘を嘘らしく描いていると思われることがあった。佐藤君の純情的作品とは違っていた。
(小説について、人生の真実を見たつもりでも、それは、作者の技倆によってまことらしく描かれた嘘であることが多い。チェーホフの書簡集を読むと、スターリンに与えた書簡のうちに、彼はツルゲーネフの描いた娘や女は凡て不自然で虚偽であるといっている。それは私には意外であった。リザでもエレーナでも、「煙」のなかのイリーナでも、明治時代のツルゲーネフ崇拝党が、ロシアの真実の婦人として感激の目をもって見上げていた婦人も、チェーホフに云わせると、「ロシアの娘」ではなくって、下らないものだとのことである。外ならぬチェーホフの批評である。我々他国の読者には反駁する資格はない。これによっても、小説によって人生の真実を見ているつもりでいるのも、自己欺瞞に堕する恐れがある)
 谷崎君の初期の作品は、小説らしい小説であった。教養不良みたいな痩せ形な作品の多かった中に、くりくりとよく太った悪たれた小僧みたいな小説であった。そして、「憂鬱篇」に於いて自己の才能を悲観している佐藤君などとは異なって、自己の芸術に強い自信を有って、倦むことなくおのれの道を進んで来たようである。この作者の好んで描いたような人物は、みたところいかにも現実の婦人らしいツルゲーネフ作中の婦人が、不自然であり虚偽であるが如く、不自然であり虚偽であると云われないないこともない。だが、そういう人物が実際界に存在しているもいなくっても作者の心中には、潑剌として存在していたのだ。ツルゲーネフの描いた婦人は、「ロシアの現実の娘」でなかったかも知れないが、作者はそういう婦人に興味をもち、自分で描いて自分で楽しんでいたのであろう。谷崎君も、自分の好みにかなった婦人を現実界に求められなかったので、作中にそれを創造してそれに惑溺していたのかも知れない。春信や歌麿が自分の美人絵に自分で惑溺したであろう如くにーそう考えると、ロシアの自然派の作物も、日本の空想派の作物も、作者の態度は類似したことになって、文学史上の流派別なんかは皮相な見解となるのである。


憾み(うらみ)…残念に思うこと。

 

「蓼喰う蟲」以後の谷崎君の作品には、初期の作品につきまとっていた臭気が脱け、絢爛だった色彩味を帯び、作家が渾然たる芸術の境地に達し切っているように、私などは敬服した。「まんじ」にしても、「吉野葛」にしても、「盲目物語」にしても、材料が異なり着想も異なっていながら、それぞれに古典的完成を遂げている。初期の作品には江戸末期の趣味が連想され、浮世論と共通している芸術境が窺われたが、近来の作品には、もっと古い日本の古典の味わいが伝えられている。日本の伝統的文学の妙味は充分に吸収されて、それに作家の主観が活躍しているのだから申し分のない訳である。「まんじ」の如きは、古典趣味とは余程異なっているようだが、作者はこの小説に於いて、洗練された大阪言葉に興味をもち、そういう日本語の美をあらわそうと努めている。
…私は、今此処でで谷崎君の小説に対する讃美の辞を繰り返すために論評の筆を進めているのではないので、「日本文学の伝統」ということについて、最近の感想を述べたくなったのである。谷崎君の初期から最近までの文学経路を見ていると、西洋文明模倣時代の日本に成長しながら、この作者はさほどには欧米文学に感化されず、日本の伝統美を発揮していることが明らかだ。佐藤君だって、自分が発行している雑誌を「言霊」と名づけたほどあって、日本の言語文字を尊重しているらしい。島崎藤村氏の「夜明け前」には復古思想が見られるが、藤村氏とか晩年の?外氏とかを、特に取り上げるまでもなく、四十を過ぎ五十を過ぎた作家は、青年期に一曲(ひとまがり)に西洋礼賛をつとめていたにしても、次第に、自分で意識しないうちに、伝統の日本趣味に復帰するものらしい。西洋の作家が年を取ると、カトリックの宗教信者になりたがるのと同様である。先日、ある新聞にファシズムのイタリアでは、国語の純化運動が盛んで、「広く使用されている外来語をすべて廃止」せんとする計画があり、料理屋の名前でも床屋の看板でも、日常の生活用語でも古典的な表現法が用いられだしたと報道されていたが、国粋主義が勢力を揮いだしたこの頃の日本でも、そういう傾向が起こらないものであろうか。カフェの看板語や、マルクス論者の用語のような無難な外国語が一掃されるのはいいことであるが、谷崎君などは伝統趣味によってああいう傑れたる芸術を造り出した。しかし、その態度を真似てばかりいられない作家も多いに違いない。
 小山内薰君などの翻訳心境を、私などは晒す訳にいかない。今日の青年作家の幼稚な外国文学模倣をも、一概に蔑視されないのである。私には、万葉の和歌や芭蕉の発句だって、それほど有り難いものには思われない。怪しい外国語の学力で辛うじて皮相なところをのぞいて真似をしたって、はじまらない訳だが、過去を顧みても故郷の風色は落莫としている野口米次郎氏などは日本浮世絵を激賞しているが、浮世絵が日本特有の美感の現れにはちがいないとしても、それが痴呆美であるところに、多少の興味を寄せながらも、一種の侮蔑を感じるのは、私一人だけなのであろうか。婦人画ばかりではない、役者絵を見ても、それ等浮世絵師の多くは、そこに、人間に潜んでいる威力をも魂をも、我々に示して呉れないのである。西洋人が異国情緒に自己陶酔をして褒めてくれたために、それにかぶれて、俗人に媚びるのを目的として描かれた低級な芸術を理屈をつけて激賞するのに、私は同感し得られないのである。
 
 こういう浮世絵と手を取り合って共存共栄をした旧幕の戯作者文学を振り切って、新しい道に進んだのが、「小説真髄」以来の明治文学者の態度であって、伝統無視偶像破壊が、今日までの間にしばしば志されて、最近では反宗教反ブルジョア文学唱道のマルクス主義文学も起こったのだが、伝統破壊は、今なお上っ面だけに過ぎないことを、我々もおりおり考えさせられる。国民の他の思想に比べて、文学芸術だけが特殊の道を進む訳には行かないと見えて、いつとなしに国粋の色彩が濃厚になるものと思われる。日本の文学を罵倒して外国の名作を激賞し、それ等に心酔しているらしく云っていた高山樗牛(たかやまちょぎゅう)も、本当は日本主義者であった。「偶然に生をうけたる国土の如きは、我故郷とするに足らず」と揚言した内村鑑三氏も、本当は、武士道的日本の讃美者であり愛国者であった。芸術や思想に国境なしというコスモポリタン的考えは、人間の本性に適しない浅薄な考えかも知れない。だから、日本の伝統の文学芸術の真価がどうでろうとも、我々はそれに勿体をつけて讃美し、それを守り立てていくのが、正しい道でアルかも知れない。そこへ行くと、谷崎君の如く、無駄な会議に悩まされないで、伝統的文学趣味を抱擁しながら、自分の芸術を築いて行ける作家は幸福である。

 


「自分は、歌舞伎の形式の尚将来に利用するに足ることを信じる」と、坪内逍遙(つぼうちしょうよう)先生は云われて、そして、最初の試みとして、その形式の一つであるチョボを復活した著作を発表された。ある理論の主張とともに、その理論を具体化した作品を示されるのが、先生の在来の慣例である。
 偶像破壊伝統無視の清新によって起こされた新劇運動も、伝統の怪物たる歌舞伎劇壇から追放するさきに、新劇自身の方が亡(ほろ)んでしまった。イプセンやストリンドベルヒの清新や形式よりも、歌舞伎の形式の方が、将来の日本の演劇に多分に利用すべき分子をもっているかも知れないと、我々も時として考えないこともない。しかし、チョボの復活、「チョボの新式化」は、我々の想像しないところであった。「阿難の累い」は、役々の台詞にはすべて現代語が用いられ、それにチョボが挿まれているのが、奇抜に思われ、実演してどういう効果を奏するかと興味を惹かれるのである。ただ読んだだけでは、何の不調和も感じられず、突飛な感じもしないのは、作者が老練なためでもあるが、題材が古代から取られ、舞台面が歴史的であり空想的であるためでもある。
 この新作は、歌舞伎の形式利用から思いつかれた新しい音楽趣味、新しい形式美を主要な点として試作されたもので、作中の男女の性格とか、思想家にはそれほど重きを置かれていないのかも知れないが、ただ読んだだけでは、その方がよく我々の心に映じた。「二つの魔障」は、道を修する者の障りとして、西洋でも東洋でも古来説かれているようであるが、それ等を脱却したいわゆる法悦の境地は、空漠たる淋しい枯れ野原のようであると、私などには思われる。老病死を現わした仮面に脅かされて心機一転した少女や、釈尊の暗示的な言葉に心の窓を開かれたという青年の心を私はいろいろに忖度(そんたく)したが、それは「旭光輝き、微妙な音楽」の聞こえる舞台とは調和しそうでないように思われた。
 そういう理屈をこの戯曲に求めるのは、外道の考えであろう?仮面をかぶって、病苦と老衰との説明をする槃特(はんどく)の振事なんかは、一見日本の舞踊に相応しいもののように思われるが、在来の例によると、こういう振りは、道化たおかしみに富んだものになりがちなので、この新作を正しく現わすためには、俳優は旧套(きゅうとう)を脱する必要があるのだ。おかしみに堕したら、少女の心機一転の動機が弱くなるのである。この少女は、作者が指定されたように、「生まれ附きが至って単純」であるとともに極めて情熱がつよくなければならぬので、従って、この役に扮し得る女優は、今の劇壇にはありそうに思われない。役柄が昔の岩井某瀬川某を連想させられる。(昭和七年四月)
 
チョボ・・・歌舞伎における義太夫節、及びその語り手をチョボという。歌舞伎では、セリフや演者同士のやりとり以外の部分を受け持つ。
忖度(そんたく)・・・他人の気持ちをおしはかること。
槃特(はんどく)・・・おろか者。愚鈍な人。
旧套(きゅうとう)・・・古来からの形式や慣習。ありきたりの方法。