ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

正宗白鳥の菊池寛論1

中央公論社から出版された正宗白鳥の「文壇人物評論」から「菊池寛論」の現代語訳を以下に全文掲載しております。手前勝手な現代語訳であるため、正確性に欠ける点があるかもしれません。その点につきましては、ご了承ください。

 


 菊池寬君を論ずるのは現代を論ずることである。この雑多紛々(ざったふんぷん)の現代において、ある一人をもって現代の標本とすることは困難であって、範囲を文壇に限っても、現代を背負った標本的人物はそこらに散在しているようであって、特に一人を選び出すことは困難である。
 しかし、今日の私は、多く躊躇するところなく、菊池君をもって好箇(こうこ)の現代の代表者としようと思っている。私は彼においてよく現代の影を見ている。現ダイアh絶えず動揺している。明日はどういう風が吹くか知れない。従って、私の菊池君に対する評価は、明日の日どう変わるかも知れないが、今日の彼は、よく日本の現代を反映している。どちらかといえばいい意味で日本の現代を代表しているといっていい。よくも悪くも現代に無関心で生存していられない私は、菊池君についても無関心でいられない訳である。
 最近の文壇人のうちでは、故芥川と、久米菊池の両氏とに、私は、いろいろな意味で興味を寄せていた。私は、年齢の差違のためか、この三氏に対して、羨望嫉妬憎悪あるいは偏愛、仲間贔屓などの私情をまじえずして、その述作(じゅっさく)を味わい、その行動を注視していられるのである。
 他の二氏のことはしばらく置く。菊池君は素直に現実を受け入れる人である。現実に対して相応に敏感な人である。外形も清新も今の日本に生きているといった感じが生々としている人である。彼の述作は、そういう感じの率直な表白である。日常の行動も多分そうであろうと思われるが、社会民衆党(今度の選挙に際して、そんな名前の党派のあることを私ははじめて知ったのであるが)の一員として、第一回の普選の代議士候補に立ったことも、氏の行動として、ふさわしく私に思われる。氏が落選したことによって、「現代の日本の代表者」たるに値していると見なすのと同様に、無論皮相な考えである。菊池君は、民政党にでも加入して選挙に立っていたなら、当選の栄誉を得たであろうし、彼自身の志している出版法の改正や著作者擁護の法案成立のためにも、都合がよかったであろうのに、氏は易きを去って難きについた。しかし、そこに、現代的良心の保持者たる氏の面目が見られるのである。
 
 安部磯雄先生が社会民衆党の巨頭であることも、私は今度はじめて知った。安部先生と私とは、この世において多少の因縁がつながっていないことはない。私は、年少の頃(明治二十七八年の頃)備前岡山の郊外にあった薇陽学院(びようがくいん)という宣教師経営の私塾に半年ばかり通学して、傍ら県立の病院へ通っていた。(当時の印象は、「地獄」という短篇に書いたことがある)その学校の校長は、安部先生であったが、神学研究の目的で米国に留学されていた。私の入学後何ヶ月かして帰朝されたので、私達は多くの期待をもって先生を、岡山の停留場に迎えた。私は、学校では先生の教授を受けなかったが、市内の教会堂においておりおり先生の説教や講演を聴いた。社会主義らしい意見を、私はその時はじめて耳に入れた筈であったが、特別に記憶に留まるほどの感激は受けなかった。
 まもなく私は、年少の憂鬱に因じて退学したが、一二年後にその学校も閉鎖されることになったのであった。校長たる安部先生が、在米中新神学にかぶれて、キリスト教の正統的信仰を失ったために、宣教師と意見が合わなくなったのが、学校閉鎖の一つの原因であると云われていた。
 私が上京して早稲田の学堂に通学していた間に、安部先生も上京された。一円の同志とユニテリアンの教旨を宣伝されだしたが、当時の私は、宗教が塩気を失ってしまったような神秘性を欠いた淡々水の如き常識的なユニテリアンを蔑視していた。(今思うに、無産党中の社会民衆党は、宗教のうちのユニテリアンのようなものではあるまいか。)
 先生は、私の在学中早稲田に教鞭を執られるようになって、私達のクラスでも英語の一課目を受け持たれたのであったが、まだ先生の人格や学識を知らなかった学生は、どういうわけだったか、先生を毛嫌いして、最初の授業時間に、私など数名のほかはその教室に入らなかった。学生に嫌われたことを知った先生は、すぐに教室を出て、それっきり受け持ち教師は変更された。それで、後年安部先生が早稲田の学生間に旺盛なる人望を得られたことを知って、私は意外に感じた。
 爾来数十年、私は軽井沢避暑中に、彼方此方の途上で、幾度か行き会ってお辞儀をするほか、先生に面接したことはなかった。先生がいかなる社会主義行動をしていられたか、そういうことに興味のなかった私は殆ど知らなかった。ただ羽仁吉一氏をおりおり訪問した時世間ばなしのうちに、安部先生の家庭についても、多少耳にしたことがあった。羽仁氏の令嬢が、安部さんの子女××さんは、神様は信じないけれど、お父さんを信じると云っていたと話したのが、私には奇異に感じられるとともに、先生の家庭ではそうだろうと思われた。先生はかつて、ある雑誌に、「私は妻君を尊敬する」と云っていられた。夫が妻を尊敬し、子が父を神の如く信じることは、私が日常目賭(もくと)している周囲の家庭では多く見られない現象である。


雑多紛々(ざったふんぷん)・・・色々な物が入りまじって乱れているさま。
好箇(こうこ)・・・ほどよい。ちょうどよい。
述作(じゅっさく)・・・書きあらわすこと。また、その作品のこと。
安部磯雄・・・日本の社会主義者であり日本社会主義運動の先駆者。
ユニテリアン主義・・・キリスト教における三位一体(父と子と聖霊)の教理を否定し、神の唯一性を強調する主義の総称。
羽仁吉一(はによしかず)・・・ジャーナリストであり、教育者。妻とともに自由学園を創立した。

 

 こういう有徳の人物が国民の代表者として議政壇上に立つことは喜ぶべきことである。選挙前後の先生の人気の盛んなせいである。しかし、翻って考うるに、議会は現実の国人の生活に直ちに影響を及ぼすような言論行動の舞台であるとすると、温良有徳の人物ということは、必ずしも代表者として最高の条件であるとはいえないのではあるまいか、輪つぃは、先生の政治上の主義主張については、詳しくは知らないのであるが、雑誌上でおりおり瞥見したところによると、産児制限論者であるとともに、財産の制限論者であるらしい。土地国有主義を抱いているらしい。土地の私有禁止を説いたり、個人の私有財産を幾千に止めようと説いているのを、私はどこかで読んだことがある。…ところで、他の無産党広報車を選挙した人々は、どういう人々であったか知らないが、安部先生の応援者及び投票者は、必ずしも無産者ばかりではなかったらしい。財産を有し土地を有し、また出来ることなら、自己の財産を殖やし、所有土地をも殖やしたいと、人類共通の欲心から脱却してはいそうでない人々も、安部先生を自分達の代表者として担ぎ上げたようである。私は、そこに現代を見るのである。現代的良心を見るのである。安値浅薄なる人間的良心を見るのである。もし、安部磯雄先生の属する党派が政友派や民政派のように有力であって、議員の過半数を占める恐れがあって、安部先生も当選の暁には、自ら内閣を組織し総理大臣となって、その抱懐せる土地私有禁止などを、直ちに実行し得られるようであったなら、どうだろう?そういう右か左かに自己の運が左右される場合にでも、先生の投票者はこぞって先生を投票したであろうか。どうせ無産党が議会に多数を占める恐れはないのだから、自分達は、新聞雑誌などで新しい進んだ思想らしく説かれて、現代の知識階級の流行となっている主義の所有者たる先生に一票を投じて、現代的良心の満足を得、先生の当選の報を新聞に読んだ時、明日から土地私有禁止実行などの不安に襲われる必要なく、普選第一回の進歩せる選挙者であるという快感のみを味わい得られるのではあるまいか。
 全体無産者は有産者を打倒して自ら有産者たる幸福を占領したいのが、人間性の至極である。人間は精神的にも物質的にも、他に優越しているということにおいて自己の幸福を感じるので、婦女子でも、万人が万人同じ衣服を着るようだったら、それがどんなに美服であっても幸福を感じないに違いない。選挙でも、主義その者に即しなくっても、勝敗ということだけで、大勢が興味を覚えるではないか。
 筆が横道に外れたが、ここらで、本題の菊池寛論に返ることにする。
 改めて云う。菊池君は素直に現実を受け入れる人である。現代的良心の所有者である。帝国議会の一員となって実際の政治に参与したいという、在来の引っ込み思案の文人気質とは違った勇猛心を起こしても、民政党へは加入しなかった。そして、氏は、近き将来において、社会組織が急変して、生活が平等になって、流行作家も贅沢ができなくなるであろうと、素直に考えているらしい。(私はそう考えていない。通俗的流行作家は、これからますます栄えて、浮世の栄華を極めるようになるのではあるまいか)
 封建制度が崩壊しようとも、資本主義が滅亡しようとも、生きかわり死にかわり、人間の所有欲や愛欲が、蛇の執念の如く、なんらかの形において、人類が地上に存在する限り威をふるわないでおくものか。周囲の事情によって文学そのものが衰頽(すいたい)すれば兎に角、そうでない限りは、文学者の生活はますます不平等になって、時好に投じた作家は、ますます贅沢を味わい得られるであろう。
 菊池君は、文壇人の所有欲満足のために相応に力を尽くした人である。文芸家協会を設立されたのも、最も多く氏の力によるのであろう。戯曲の上演両が得られるようになったのも、何円か前から急激に原稿料が騰貴するようになったのも菊池君などがその道を拓いたのではないかと思われる。そして、氏に対して悪声を放つ人々も、原稿料が値上げされたり、上演料がとれたりすることには反対しそうでない。この頃円本発行書店が、しきりに芸術家の作品を極度に小品扱いしているが、商品扱いされて予想外の利益を得る作家は大して渋面をつくっていないらしい。それは今日の作家が特に所有欲に目が眩みだしたのではなくって、以前の作者は、環境が彼らをして強いて清貧に安ぜさせるようになっていたのである。
 そして、菊池君はこだわりなく現代に応じて行く。芸術的気取りに捉われないで、現代をありのままに享楽して行く。そういう点では、育ちが育ちだけに説教者めいた安部先生よりも、現代の代表者として衆議院議員の最適任者であるかも知れない。


無産党・・・無産政党の略語かと思われる。戦前の日本における合法的社会主義政党の総称。当時の有産階級(ブルジョワジー)に対する労働者など無産階級(プロレタリアート)のための政党。この当時、まだ日本共産党は非合法であったため、無産政党には含まれない。この菊池寛論が書かれた昭和三年には、日本無産党は存在していないため、この解釈で合っていると思われます。

 

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