ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

伊藤整が横光利一について解説する3

以下、筑摩書房が出版した「現代日本文学全集65 横光利一集」から『』内の文章は左記の本から引用した上、手前勝手な現代語訳をしたものになります。旧漢字は全て新漢字にて掲載しておりますこと、ご了承ください。横光利一の研究の一助になれば幸いです。解説者と作者、お互いにとってフェアな展開にしようと考えて進めているのですが、なかなか難しいものがありますね。

 


『ここまで辿られた生命の存在の不安、それが巨視的に描かれたのが「静かなる羅列」である。それはやがて「ナポレオンと田蟲」や「碑文」や「マルクスの審判」における社会的生理的条件の中にとらえられた人間の不安となる。そしてその社会的、民族的な枠にはめ込まれた人間の不安を大がかりに描くものとして「日輪」や「上海」の構想が現われて来たのである。
 前にも述べたように、横光利一が人間の不安を認識した方法が大正期の先輩作家たちと違っていたところは、それを経験として、または経験類似の描出として、または歴史の中に直接に把握せず、抽象的な観念として把握したことである。
 そしてこの抽出した観念を他の仮託的事件の中にはめ込むことが彼の創作方法であって、それは「ナポレオンと田蟲」、「日輪」、「機械」、「時間」等に等しく見られることである。彼が自然主義的文学から脱するために行った戦いは、新感覚派的文体にもあったけれども、より強く、観念を抽出して別な構造の中へ移転することにあったと私は考えている。しかし観念という論理的なものを、印象飛躍法の模様化的文体によってとらえることが無理であったところに、「上海」までの書き方の空転があった。その間僅かに「春は馬車に乗って」の経験と自然感情(抽象以前のもの)との混合による成功があった。
 「機械」の出現は、彼がその論理的な観念を託するに足る論理的な描写の可能なる文体に遭遇したことを意味している。それでは、この作品で彼が行った観念の定着とはどのようなものであったか。それは彼が初期から持っていたところの存在の不安定性の日常生活的な図式化であった。
 即ち自然主義系統の文学では、人間の人格的安定を常に目標にして、それに接近する戦い、それの崩れる戦いを、人間性の中にある悪徳や社会を固定したものと見てそれに対する意志薄弱による失敗や、自己の欲望の抑制による心境安定等を描いた。それは個人の道徳的努力や諦観や現実放棄によって人間は安定し得るものであるという先入観によって書かれていた。即ち個人主義思想による安定感の追求が、明治大正期文学の実体であった。これは、中世紀からの解放期にのみ役立った意識であって、新しい資本主義社会では通用しないものなのである。
 「機械」に定着された人間社会観は、人間の実在は、他の人間との出逢いによって、その価値や力が絶えず変わるものであり、またある事件が甲なる存在に与える影響と乙なる存在に与える影響とが違ったものとなる可能性があること、また努力がかえって人間を駄目にすることがあり、失敗がかえって実益を多くもたらすこともあるという考え方である。人と人、人と仕事、人と人との組み合わせの動きによって、善意や努力と関係なく、人間は浮かび上がり、また破滅する。そういう人間の組み合わせと社会条件の組み合わせの中に、現代人の生きることの実体がある、という考え方である。
 この考え方、生命はそれの外にある条件の必然の動きによって意志や努力と関係なく栄え、かつほろびるという考えは「蝿」に顕われたものの連続であり、その展開である。そしてこの展開した部分において、私は彼が、社会機構に左右されるがままになる運命を人間が持っていると見た点でマルクス主義の影響下にあると考える。また人間が、一定の職業や立場や思想を持続する間は同一の人格的存在を持続するという日本の自然主義の人間観が、ここで崩されたことは最も注目に値する。「機械」の主人公の勤めている工場に、ある一人の人間が入って来ると、それまでその工場にあった人間関係の比重はすっかり変わって行く。ちょっとした仕事の上の工夫が出来るとたちまちの間にまたこの一群の人間の間の力の構造が変わる。これは現代社会における人間存在の実質を彼が把握したことを示している。人格を中心として徳と不徳とによって陰翳づけられて描かれた十九世紀的方法はここに終わったのである。徳にも不徳にも意志にも安定した生活がなく、組み合わされた人間のあいだの力関係によって人間の実体が絶えず変化して行くのである。
 横光が「機械」で使った描出方法に対して、私は弁証法的な書き方という名をつけても不当ではない、と考えている。一つの存在、それに対立して現われる別の存在、その二つの間に生まれる力の関係バランス、更に別な存在や事件が加わることで、バランスの実体が変わって行く。
 即ち人格を中心とする永続的実在の否定である。そしてこの点において「機械」という現象は心理主義的であるよりも弁証法的であり、または心理主義であることにおいて弁証法的である。
 人間関係の実在は道徳と人格を押しつぶすというこの考え方は、極めてニヒリスティックである。この作品における認識は、正に当代の日本の社会の人間の実体に肉迫したものであった。そして何等かの新しい道徳を設定しない限りこの認識の不安は耐えがたいものなのである。

 横光がこの作品を書いていた頃、谷崎潤一郎は「卍」を書いて性の人間支配という、大正初期から彼が持ち続けていた主題に決定的な形を与えた。またマルクス主義による作家たちは、その敵手であった横光に出現したこの現実認識の弁証法的方法に対して関心を持たなかった。
 ただ戦後になって佐々木基一が「機械」の方法の重大性を敢えて論じているのは注目に値する。
 しかし佐々木基一もまた昭和初年からのマルクシズム文学の最大の敵であった横光の方法に対して、弁証法的という判定を下すにはためらったようである。横光の作品では資本主義の構造が大がかりに扱われたのは「上海」であって、「機械」での弁証法的考え方はもっと狭い舞台で、図式的に設定されたものであったため、その特質が目立たなかったのである。そして昭和前半においてマルクス主義系の作家たちが取った小節方法は、人格中心の旧道徳の形の中に、無理にはめ込んだ社会正義観という自然主義的手法を闘争の感動によって高めたものであった。ただ横光と同じ頃に小説を発表していた葉山嘉樹の方法の中には、新しい発展が期待されたのであるが、それは環境の不利の中で実現されなかった。
 「機械」を書いた昭和五年の末に横光は長編小説「寝園」を「大阪毎日」と「東京日日」に書いた。この作品には「機械」と同じ問題が更に拡大化されて扱われているが、この全集には、この作品についての川端康成のすぐれた文章があるので私の解説は省略する。
 この時期に彼が感じた人間存在の相対的不安定性は、その文壇生活、ジャーナリズム等の関係から関知されたものにちがいあないと私は推定している。その事は同期の川端康成にも違った形で認識されていたもののようであって、その事を私は前に、次のように書いたことがある。
 「『禽獣』(きんじゅう)(川端の作品)と『機械』とは、文壇が文学者のサロン化したことを意識した時の反映である。(中略)その場所での力の構造は『機械』におけるように、一種の唐草模様、外に生命をゆだねる生活者、柔道風な他力使用者、自己放棄の姿勢による功利性の把握等である。また『禽獣』の冷酷な透視、優秀者のやむを得ざる孤独、自然感情に反する適者生存の認識等によって作られている。フィクションはこの二作の形で、逃げ出せない生存の場、文壇なる歪んだサロンが描かれたとき、日本で形成されかかった。外の社会と無関係に。」(「小説の方法」)
 昭和九年横光利一は「紋章」を「改造」に連載した。「紋章」は具体的なモデルのある作品である。その手法は「寝園」の引きつぎでありながら、一種の行きつまりがこの頃から起こった。彼の方法に矛盾と変化が起こった。それは彼がこの頃発表した「純粋小説論」と関係があるようである。その「純粋小説論」にはこの頃に出たジッドの「偽金つくり」の翻訳が影響した。「贋金つくり」の中にエドワールという小説家の純粋小説論が描かれている。しかし横光の考えはこのエドワールの考えよりもジッド自身が初めて書いたロマンと自ら呼んだ「贋金つくり」そのものの構造にある意識的なメロドラマ性に暗示を受けたもののようである。それは偶然というファクターを現実の中で重視する、という考え方であった、そして横光は偶然という因子の設定によって芸術小説と大衆小説とを貫く小説の本質を把握できた、と考えたのである。流行作家として新聞や婦人雑誌に小説を書かねばならなくなった彼の立場の無理が彼をこの理論の中へ追いつめて行ったようである。この事は、彼がそれまで築いて来た現実認識法に対して破滅的な打撃となったように私には思われる。
 あるいくつかの力のバランスによって保たれている現実の中に、外部から入って来る力を、彼は偶然性によって特徴づけた。偶然の因子が常に現実を変革する。しかし、社会構造の中にはめ込まれた人間を動かす新因子は、やっぱり必然という性格によって補えた方が正しいようである。この横光における、偶然性ー即ち純粋小説ー即ち芸術小説の融和という考え方は、再び彼を初期の新感覚派的飛躍構造に駆り立てたのである。今度はその飛躍構造は、文体の上で働かずに、彼の思考の中に偶然という神秘的な因子を産み出すことになった。そしてここに一種の神がかり的状態の承認が生まれて、それが彼を昭和十年頃から後、戦時気分の漂って来た日本で民族主義と結びつけるようにさせて行ったのである。
 昭和十一年にヨーロッパ旅行をしたことは、彼の中に強い民族意識を目覚ませ前記の思想を更に発展させた。昭和十二年彼は生涯の大作「旅愁」を書き出した。この作品においては「機械」を書いていた頃の彼と別個のものが出て来て、日本の再認識、民族の美的論理的な新発見において人間性を見て行こうとしている。その点は色々な評家の批判のあるところであるが、彼には初期からあ一貫して、人間性の崩壊意識に耐えようとする意志的な論理観があったので、それがこの作品に一脈清冽なる感銘を与えることになった。この作品はその思想の特殊性を帯びながらも、強烈な論理的潔癖さによって、読む者を動かす力がある。しかし偶然の因子の認識以来彼には神秘思想と精神万能主義が生まれていて、それが彼の晩年の生活を支配したようである。
 その中の一つの現われである実生での科学医療法への不信、科学をも神秘感によって裏づけようとするモチーフを持つ晩年の諸短篇などに、それを見ることが出来る。
 作家としての横光利一の生涯は一つの大きな実験の連続であって、彼が企てた多くの新しい試みは、今日まだ十分に探求されてもいず、跡づけられてもいず、よく判断されてもいない。彼の歩いた道の各所に、私は今日の日本文学がまだ未解決でいる多くの問題を発見するのである。(一九五四・二・九)』