ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

小林秀雄名言集2

 新潮社から出版されている全28巻からなる小林秀雄全集から、名言をまとめてみました。小林秀雄を読むきっかけ、あるいは小林秀雄の研究の一助になれば幸いです。以下、『』の内の文章は左記の全集からの引用となります。また、()内には引用した作品名を記載しております。

 

・『鏡花氏の才は今日稀有(けう)である。一度失ったら二度と得る事は覚束(おぼつか)ない。いくら商売上、世間の機嫌を買う必要があるとはいえ、まさか、楔形(くさびがた)文字を判ずるのじゃあるまいし、どころか、氏は現に無類の情熱をもって制作している作家である。それを見向きもせぬような新時代作家の心根が私には解せない。』(文学と風潮)

 

・『鏡花集は、決して空想家の創ったものではない、熱烈な信仰の記録である。
 描かれた人物も風物も、聊(いささ)かも作者の情熱の呪縛から逃れない。そしてそこに絶対的な夢を孕んで晃(きら)めく現実の世界を織っている。あらゆる人間感情は、いや、雲の色、鳥の歌に至るまで、すべては極限点に彷徨(ほうこう)して、怪しい音を放つ程、緊迫している。平俗な法則は、全く無視されて、ただ情熱の抜きさしならぬ流がある。』(文学と風潮)

 

・『私は、沢山売れる本は読みません。沢山売れる本を決して軽蔑しているわけではないのでして、私は本は勉強以外には読まぬ覚悟をしているだけです。遊びたい時には外(ほか)の事をして遊びます。凡(およ)そ、本を読むなどというとぼけた、愚劣な遊びは御免なのであります。
 作品を勉強の為に読むとすれば、必定、作品を通じて作家の心に推参したいと願います。作家の個性的な心情を、或は個性的な体系を明らかにしてくれない様な作物は、私には、何の興味もありません。』(新しい文学と新しい文壇)

 

・『いろいろな場所で、いろいろな瞬間に、私の心がいろいろな恰好をしている時に、ランボオが明かしてくれた様々な秘密は、私の肉体に沈殿して、はや、ときほごす術(すべ)さえ見当りませぬ。』(アルチュル・ランボオ

 

・『ポオル・クロオデルが、ランボオの散文を、ストラディヴァリウスの柔軟な、乾燥した木の様に、繊維の隅々まで、明朗な音が浸透している、と書いております。これは大変的確な形容であると思います。』(アルチュル・ランボオ

 

ストラディヴァリウス・・・アントニオ・ストラディヴァリが製作したヴァイオリンの総称。彼が作ったヴァイオリンは名器とされる。

 

・『若年の年月を、人は速やかに夢みて過す。私も亦(また)そうであったに違いない。私は歪んだ。ランボオの姿も、昔の面影を映してはいまい。』(ランボオⅡ)

 

・『歌とは、敗北を覚悟の上でこの世の定め事への抗言に他ならぬ。』(ランボオⅡ)

 

・『吐いた泥までもが晃(きらめ)く。彼の言葉は常に彼の見事な肉であった。如何(いか)にも優しい章句までが筋金入りの腕を蔵する。』(ランボオⅡ)

 

・『横光利一氏の「機械」(「改造」九月号)、私はこれに就いて、先月号で色々な事を書きたかったが、発熱で頭がほてって来て、どうにも法がつかなかった。とこんな前置きを書かなくてもいいのだが、私にはいかにも口おしかったのだ。私にはその当時、もうこの作に対する人々の正面切った批評は大概見当がついていた。そして一方裏道から一途に此の作者の心を思って切なかった。今、「機械」に関する穏やかな理智と好情とを織り込んだ人々の批評を読み、それを反駁(はんぱく)しようとも思わぬし、又、間違っているとも思わぬが、私にはただ味気なく素気ない。
 人々はこの作に新しい試みを見た筈だ。これは一目瞭然の事である。この作品の手法は新しい。それは全然新しいのだ。類例などは日本にも外国にもありはしない。と言う意味は、其処に立っているのは正しく横光利一だという事だ。抜き差しならぬ横光利一が立っている。』(横光利一

 

・『氏の持って生れた粘著ある、肉感的な、純潔な心情は、「機械」に於いて最も逆説的に生まに語られた。』(横光利一

 

・『尊敬とは常に奇蹟である。』(横光利一

 

・『人の心を傷つけるものは言葉の裏の棘である。』(批評家失格Ⅰ)

 

・『分析はやさしい、視点を変える事は難しい。』(批評家失格Ⅰ)

 

・『みんな臆病をかくそうと皮肉をいう。』(批評家失格Ⅰ)

 

・『だが精神とは、われわれの頭の中に棲んでいるやっぱり心臓をもち、肉体をもったもう一つのわれわれだ。』(批評家失格Ⅰ)

 

・『興味は様々なものを明かす。作品のうしろに隠れた、ペンを握る掌の厚さも明かす。』(批評家失格Ⅰ)

 

・『それより人々は実生活から学ぶ方がよっぽど確かだ。』(批評家失格Ⅰ)

 

・『実生活に追われて人々は芸術をかえりみないのではないのだ、生活の辛酸にねれた心が芸術という青春に飽きるのでもないのだ。
 彼等は最初から、異ったこの世の了解方法を生きて来たのだ。異る機構をもつ国を信じて来たのだ。生活と芸術とは放電する二つの異質である。』(批評家失格Ⅰ)

 

・『文芸とは飽くまで血肉の科学であって、世の転変と共に、文芸の意匠を異にしたというのも、その時々を生きた肉体に即した表現であったが為だ。』(近頃感想)

 

意匠・・・趣向や工夫のこと。

 

・『嘘をつくからいけないのだ。己れを語ろうとしないからいけないのだ。借りもので喋っているから種切れになるのである。』(近頃感想)

 

・『今日の都会を描こうとしても都会ははや性格を持ってはいない。』(物質への情熱)

 

・『本当に都会人の心をもった人だけが今日の都会に生きる事のつらさを一番よく知っているだろう。』(物質への情熱)

 

・『勿論、私は君のきれいな心が屡々覗(のぞ)くのを決して見落しなんぞするものか。』(中村正常君へー私信)

 

・『いつもランボオの問題は、極限の問題であります。』(アルチュル・ランボオの恋愛観)

 

・『毎月雑誌に、身勝手な感想文を少し許(ばか)り理屈ぽく並べ並べして来ている内に、いつの間にか批評家という事になって了(しま)った。』(感想)

 

以上、上記文章は全て「小林秀雄全作品2 ランボオ詩集」より引用しました。

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