ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

萩原朔太郎が語る谷崎潤一郎と正宗白鳥1

 昭和15年に河出書房より出版された萩原朔太郎の「阿帯」なる随筆集には、「思想人としての谷崎潤一郎正宗白鳥」と題された随筆が掲載されています。内容としては、古来より日本には確たる「思想」は基本的には無い国で、外国文学が輸入にされるに至って初めて「思想」が文壇に広まった事など、日本の文学史における「思想」の有りようについて萩原朔太郎が説明しています。

 
ここでは上記の随筆を現代語訳した上、下記の『』内に引用しております。萩原朔太郎谷崎潤一郎正宗白鳥の研究の一助になれば幸いです。


『彼は詩人としては天才だが、思想家としては小児にすぎない。というのは、ゲーテバイロンに与えた評であるが、この評はもっと一層適切に、日本の詩人や文学者に適用される。特に日本の詩歌人というものは、昔から花鳥風月を吟詠している風雅の士で、趣味に生きることを以て理想とする意外に、人生を「考える」ことの思想を持たなかった。今日の新体詩人や自由詩人と称するものも、この点では昔からの伝統人種で、彼らのほとんど大部分は、全く思想上の小児にひとしい。しかもこの国の風習では、思想上での小児たるこを以て、詩人の詩人たる純情性の所以と認め。自他共に却ってそれを誇りにしている有り様である。
 こうした「ことあげせぬ」国ぶりの風習は、ひとり詩人ばかりでなく、日本のすべての文学者に共通している。西鶴以来、江戸文化の花を飾った幾多の文人小説家中で、真に人生をデンケンした作家が幾人あったか。もちろん彼等は、体験によって人生を味得してはいたろうが、それを知性上に反省して、懐疑や問題を提出することを知らなかった。そしてこの作家気質は、明示の硯友社文壇を経て今日に至るまで、依然として日本の小説家に伝統しているのである。
 日本の文壇において、僅かに多少思想らしきものが萌芽したのは、共産主義プロレタリア文学が流行して、若い作家たちの間に所謂理論闘争が行われた時だけだった。そうした彼等の思想は、政治と文芸とを混同し、経済学の原則で芸術を律しようとする如き、非条理極まる小児病的のドグマであったが、しかも文壇の既成作家等は、一も立ってその攻撃に応ずるものなく、そうした幼稚な思想にさえ、完全に屈服されてしまったほど、それほど全く無思想であった。日本の作家たちは、日本の詩人が風流人を自誇(みずからのほこり)する如く、自らまた人生の通人や苦労人を以て任じている。通人のイデーは、野暮から垢ぬけることであり、一切何事に対しても、理屈と同じく野暮の骨頂に考えられる。彼等がプロレタリ作家に対して取った態度も、明らかに「野暮を対手にせず」という如き自誇を示した。もっともマルキストの文学論の如きは、本質上から見て、文芸人の対手にすべきものではなかった。文芸にたずさわる人が、真に人生において思想すべきことは経済学の概念知識屋抽象理論を振りかざして、馬鹿の一つ覚えに勉強した弁証論などで、公式的な芸術観や人生観をすることではない。文芸の士がそんなことに熱狂するのは、中学一年生の乳臭い時代に属している。成長した文学者の仲間において、真に「思想」と呼ばれるものは、大学講座で学ぶ学問知識の謂われでもなく、抽象論の羅列でもなく、況んや外国思想の受け売りでもない。文学上で言う「思想」とは、それ自らが文学の内容となり、作家の生活となってるところのもの即ち作品の背後に哲学されているところの、作家乃生活体験への自己反省である。西洋の文学者等は、ジイドやヴァレリイを初めとして、すべて皆そうした思想を所有し、且つそれを詩や小説と共にエッセイにしている。然るに日本の作家たちには、作品外にも作品中にも、そうしたエッセイが全くなく、思想する精神がほとんど欠けている。したがってまたその文学が、身辺雑記的な報告文学の域を出ず。通人趣味の随筆に終わるのも当然である。』


デンケン・・・恐らく喧伝(けんでん)だと推察される。

 

『かつての所謂左翼作家の如きも、その借り物の理論闘争を捨てた今日では、もはや何事も思想し得ず、旧態依然たる伝統の日本的作家になってしまった。彼等もまた他と同じく、真の思想を所有して居なかったのである。こうした日本の文壇において、二三の例外的な作家を見ることは、何よりも、興味深い問題である。私はその稀な作家の中から、特に谷崎潤一郎氏と正宗白鳥氏とを発見する。谷崎氏について言えば、今日の日本の文壇で、彼ほどにも西洋臭く、西洋人的タイプの文学者はいない。という意味は、人生に対して情熱的な祈祷をもち、自己のイデーを追うことにおいて、あくどいまでも執拗である点を指したのである。西洋人と日本人との相違点は、一言で言えば「主観的」と「客観的」ということに尽きるかも知れない。西洋の作家たちは、徹底的にエゴが強く、主観の欲情するものを決して捨てない。彼等は自己の満足が充たされるまでは、永久に狂気のごとく、人生のどん底まで執拗に探し歩いているのである。フローベルのように、純客観描写のリアリズムを構えた作家も、本質的には主観に憑かれた人であった。反対に日本の作家は若い時から既に客観人になり切ってる。彼等の場合では、エゴが対象の中に融化し、主観人としての意欲が、自然人生の環境する世界において、客観化することを理念している。したがって彼等には、モノマニア的狂気や情熱がない。日本人の情熱というものは、芭蕉がその俳句道において示したごとく、幽玄閑寂の境の中に、静かに人生の煩悶を噛みしめながら、寂しく孤座しているような情熱である。
 最近の谷崎氏は、こうした日本人的な心境を理念とされ、そうした物の讃美と憧憬を書いてるけれども、おそらくは趣味の変遷を語るにすぎず、本質においての個性は昔ながらに依然として西洋人臭いものである。(たとえば「春琴抄」のごときも、地唄の三味線によって奏されたところの、基督教的モノマニアの文学である。)しかしこの小論において、自分が谷崎氏に興味をもつのは、氏がその小説以外の文学において、卓越せる思想人としての風貌を示している点である。倚松庵随筆や、陰影礼讃や、文章読本やを初めとして、氏の多くの随筆を読んだ人は、氏がいかに敏鋭叡智の知性人であり、いかによく人生を情熱しながら、いかによく事物の本質を直観するところの、真の意味の哲人であるかを知るであろう。この点においても氏は日本の文壇に稀らしく、ジイドやフローベルのごとき西欧の文学者と、素質を一にしているところの作家である。真の文学者は、素質上での哲人でなければならぬというゲーテの言葉は、それらの西欧作家に当たるように、谷崎氏にもよく当たっている。すくなくとも日本の文壇には、谷崎氏のごとく生活を思想し、併せて文学を思想している作家はいない。そして此処に思想するという意味は、抽象理論を弄ぶということではない。作者の強烈な主観によって、人生を体験から直観し、これを自己のドグマによって、批判的に認識づけるということである。谷崎氏のエッセイは、悉く皆主観の強烈なドグマである。しかもそのドグマの中にいかなる学者や思想家も知らないような、驚くべき生きた心理を掴み出している。こうした手品は、単に「考える」だけの人には出来ない。「感ずる」だけの人にもできない。その両方を合算して、その上にも、主観の強烈な意欲を押し通す人でなければ不可能である。ところで日本の文壇人には、概してその「主観の強烈な押し」がないのである。そのため日本的な作家の知性は、彼等を真実への探求に導かないで、批判なき身辺雑記の低徘に紛らしてしまう。』


イデー・・・ギリシア語イデアのドイツ語訳。観念、理念と訳される哲学用語。
モノマニア・・・一つのことに異常なまでの執着を持ち、常軌を逸した行動をする人。偏執狂(へんしゅうきょう)。

 

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