ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

徳田秋声の折鞄(おりかばん)2

 小説を入力してみようチャレンジ、前回に引き続き昭和3年改造社から出版された現代日本文学全集 第18篇 徳田秋声集から「折鞄」に挑戦中です!ここでは左記の小説を現代語訳した上、下記の『』内に引用しております。徳田秋声の研究の一助になれば幸いです。

 
『 そのホテルで一週間ばかり書いたり談じたり読んだりしようと思って、彼は家(うち)を出て行った。
「年越しには帰ろうね。元旦の雑煮も家(うち)で食べるからね。」
「貴方が留守だと人も来ませんし、私も体が楽ですから。」妻もポートフォリオに物をつめている融の子供らしさを可笑しく思いながら、笑うこともできなかった。
 兎に角彼は感冒(かんぼう)にかからないように、防寒の設備のあるところが必要であった。
 室(ま)を極めてから、彼はSー氏夫婦の部屋の戸を叩いた。戸が開いたところで、ぬっと顔を入れると、夫人は今湯からあがって、浴衣一枚であったところで、ベッドの上に体を竦(すく)めてしまった。融はあわてて廊下へ出た。
 暫くすると、夫人が部屋へやって来た。そして脚本が上場されるについて、Sー氏が劇場へ行っていることと、間もなく帰るであろうことを告げた。暫く話しているうち、夫人が、
「食堂へいらっしゃいませんか。」と言うので、融も、
「行きましょう。飯を食べて来ましたが、しかし紅茶くらいなら。」
 案内役の夫人について、やがて融は食堂へおりて行ったが、時間がちょっと早かったので、ホールで待つことにして、隅の方の椅子にかけた。融は彼自身と反対に子供や係累のないSー氏夫妻が、海岸の家(うち)を閉め切りにして、大晦日だというのに、東京へ出て来て、二人でホテル住まいなどしている幸福が、如何にも羨ましくて仕方がなかった。そういう生活も余り幸福なものでないことは、時々Sー氏から聞かされたことだが、融のような家庭の囚(とりこ)となってしまったものには、それは寧ろ贅沢の沙汰だという気がした。
 食堂の時間がきたところで、夫人は自分の食事のほかに、融にも何か取って、葡萄酒などを注がして待遇したが、その間に劇場の良人へ電話で融の来たことを通じたりした。
 まもなくSー氏が帰って、食堂へやって来た。そして食事をしながら、例の快活な調子で、舞台稽古の話しなどした。
 食事がすむと、又ホールへ出て煙草をふかしたが、夫人の発言で三人で暮れの銀座へ行(ゆ)くことになった。
「行きましょう。」夫人が言うと、
「さあ。」Sー氏は目を輝かしたが、「昨夜(ゆうべ)は大変だった。尾張町付近はまるで動きが取れない。何が面白いんか知らないけれど、ほかに行くところがないからな。」
 やがて四階へ外套なんか取りに行ってから、揃って外へ出た。融はいつもの癖で、そうやっていても、やっぱり家(うち)のことが気にかかったり、暮れに書いた作品に対する不満があったりして、創作興味の緊張し切っているSー氏が生活と芸術とがぴったり一つのものになっているのに比べて、余りに自己分裂の多い生活の煩わしさに堪(た)え切れない自己を憐れまずにはいられなかった。
 銀座はその晩も、歩行が困難なくらい人出が多かった。融は暮れの外の気分が好きであったが、家(うち)のなかの暮れ気分も悪くはなかった。そして賑やかな銀座を歩きながらも、自分の子供達と同じ新時代の青年達などの愉快そうにぞろぞろ歩いているのを見ると、何だか場ちがいの人間のような寂しさをすら感じるのであった。
「ああ、あれが暮れの銀座へ、一度行って見たいと言っていたっけ。」
 融はふとそんな事を思いだした。するとずっと以前の或る年の大晦日に、彼女と二人で此処へやって来て、春の贈りものの半衿などを、彼女があさっていたことなどが思い出されて、妙に気が滅入るのであった。
「どうせ春になれば、どこかへ行くつもりだ。来年は二人で伊勢へでも行こうかね。それから今日とや大阪も見せてやろう。行かないかい。」融はついこの頃の晩も、そんな事を彼女に話した。
「え、よし子をつれて行ければね。」彼女は答えたが、余り気も進まないらしかった。
「行ってらっしゃい。」長男も傍から勧めた。
 しかし二日でも三日でも家(うち)を棄てて夫婦で旅などして歩く気分になりうる彼女ではなかった。最近母を失ってからは、一層そうであった。
 母を失ってから、いつも淋(さび)しそうにしている彼女を、融は痛ましく思いながらも、弱くなった彼女をいたわりうることに、寧ろ今までにない年取った夫婦の暖かい愛を感じうるのを悦ばずにいられなかった。彼女は数日前も、彼女と子供と三人で、彼女の好きな文楽を浅草に聴きに行った。家(うち)では頭から爪の先まで、彼女の世話になって駄々っ子のようにふるまっている、我が儘一杯の融ではあったけれど、一歩外へ出ると、今度は反対に持病のある彼女を、心持ちそっといたわらなければならない立場にあった。その日も、融は粗雑な敷物のうえを上草履(うわぞうり)なしで歩いている彼女が、その敷物を気味わるがっていることを知った。
「草履を出さないのは困りますわ。足が冷たいんですよ。」
「そう。じゃ僕が草履買って来てやろう。」融はそう言って外へ出て行った。そしてかなり遠いところまで行って、上草履を一足買って来た。
「好い(いい)のがないんだ。」
「上等ですわ。これなら暖か(あったか)くて…。」
「スリッパがよかったかな。」
「いいえ、結構ですわ。有難うございます。」彼女は嬉しそうにお礼を言った。
 そして一晩親子三人で大阪浄瑠璃を聴いて帰った。そんな事もあった。』


感冒(かんぼう)・・・くしゃみや鼻水、発熱や倦怠感など風邪の症状および呼吸器系の疾患の総称。
上草履(うわぞうり)・・・屋内用の草履のこと。

 

『「そりゃあ、よし子をつれて行けば安心だけれど、大変だぞ。五日くらいいいじゃないか。」
「そう行きたいと思いませんね。勿体ないですもの。子供がもっと大きくなってから…。」彼女は矢っ張り気が進まなかった。
「子供が大きくなる時分には、こっちが年を取りすぎてしまう。」融は言ったが、病気のある彼女が、長い旅に堪えるかどうかは不安であった。
 彼女は行(ゆ)くと言っても、融がつれて行ったかどうかは素(もと)より疑問であった。彼の頭脳(あたま)は最近殊に忙(せわ)しかった。行楽的な旅などする余裕はなかった。ホテルへ来る前の晩か、その前の晩かにも、彼は不断のように、家庭の年末気分とは全く離れた、彼一人の世界を考えていた。
「お餅を切ってくれませんか。」
 ホテルへ立つ前の晩にも、餅を切っていた妻がいきなり融に言った。不断なら切ってやろうと言っても、後で手がふるえるのを案じて、切らさない彼女がどうしてそんな事を言ったのかは、その其の時の彼には全く気のつかないことであった。
「冗談じゃない。おれはそれどころじゃないんだよ。」
 融は読みたい本を少しづつ集めようと思って、その晩も子供をつれて、本屋をあさりに出た。妻も買いものがてらついて来た。
 銀座から帰ってから、融はSー氏夫妻の部屋で、二時間も話しこんでしまった。
 翌朝もSー氏夫妻と時に顔を合わしたが、おもに新聞を書いたり、雑誌を読んだりした。
 晩には、夫妻にさそい出されて、風月の食堂へ行った。
「やっぱり風月がいいのかね。」
「どうだかわからんが、Mーなんか一番旨いと言っているかね。あの連中は西洋にいて、洋食の味は知っているんだろう。××屋(俳優)もよく行くよ。」
「僕も久しく行ってみないから。」
 三人は自動車をやとった。Sー氏夫妻の生活振りが、砂金かなり余裕のある幸福なものになっていることが、融にも感づけた。それも子がないからだと思われた。彼は子供を多勢(おおぜい)もったことを、不仕合せとも仕合せとも考えなかった。ただそういう風に運命づけられた自分の生活だと思うだけであった。自分のように何時(いつ)までたっても子供っぽい人間には余りふさわしい運命だとは思えなかったが、子供で苦労して来た自分が、真実(ほんとう)の自分だという感じもするのであった。
「Sーに多勢(おおぜい)の子供をもたせたら。」融はちょっと皮肉な考えを浮かべて見たりした。
 兎に角子供をもたないSー氏の前では、自分が弱者であることを感じないではいられなかったが、それも世間的生活だけの意味であった。事によると、それは単に経済的な問題であるだけで、そう本質的なものではなかった。
 自動車の窓にうつる日本橋や京橋のお踊りは、昨夜(ゆうべ)と同じく人の海であった。
 風月の食堂ではSー氏夫妻はお馴染みであった。融は幾年目かで来たが──無論震災で昔の建ものは焼けたにしても少数の御定連(ごじょうれん)に旨いものを喰わせる家(うち)だという落ち着いた感じがあった。大晦日のことで、客はそう立てこんでもいなかったが、三人ばかりの子供をつれた、四十三四の紳士夫妻が、ここで年越しの晩餐を楽しんでいるのが、何となし融の目を惹いた。融は今頃家(うち)でも、妻の拵えた煮もので、子供たちが打ち揃って年越しをしているのだろうと思うと、その方が旨く味わえるような気がした。大きい方は銀座でも歩いているかもしれないと思った。兎に角彼は家庭人の悲哀と言ったような気分に躓いたような感じであった。実際彼が家庭人かどうかは疑わしいので、今目の前に見る紳士のような怡楽(いらく)は、感じていないのであった。むしろ人間的な悲哀が、彼を繋ぎ止めているに過ぎなかった。
「これは旨いんだろうかね。」融はカリフラワーを食べながら言った。
「こんなものちっともおいしくはありませんわ。」夫人は若い娘のように言った。
「ここは一番リファインされた料理なんだろうが…。」
 食事がすんでから、ストーブの傍でお茶を飲みながら料理の話しをした。
「ここのビステーキが有名なんだそうだ。」
「ビステーキは確かに好いな。まあ食ったあとの腹工合の好いところを見ると、調理の好いことだけはわかるようだ。そういう点が好いんじゃないかな。」
 それから其処を出てから、銀座へ出た。途中で近代劇の舞台へでも出て来そうな洋装のHー氏夫妻に出会った。連中がライオンへ来ていることを、Hー氏は告げたので、帰りにライオンへ寄って、その人達としばらく話しを交えてから、やがて其処を出た。』


怡楽(いらく)・・・よろこび楽しむ事。

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