ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

小林秀雄名言集5

 新潮社から出版されている全28巻からなる小林秀雄全集から、名言をまとめてみました。小林秀雄を読むきっかけ、あるいは小林秀雄の研究の一助になれば幸いです。以下、『』の内の文章は左記の全集からの引用となります。また、()内には引用した作品名を記載しております。

 

・『どんなに整然と組み立てられた問題でもやがて死ぬ時が来る、どんなにささやかな問題でも提出された瞬間は瑞々(みずみず)しいものだ。』(文学界の混乱)

 

・『様々な借りものの批評原理を持った様々な批評家が争っているだけである。』(文学界の混乱)

 

・『宇野氏は「東京朝日」の時評の冒頭に次の様な志賀氏の言葉をあげていた。「夢殿の救世(ぐぜ)観音を見ていると、その作者というようなものは全く浮んで来ない。それは作者というものからそれが完全に遊離した存在となっているからで、これは又格別な事である。文藝の上で若(も)し私にそんな仕事でも出来ることがあったら、私は勿論(もちろん)それに自分の名などを冠(かぶ)せようとは思わないだろう」。原始的な生活欲情と古典的な感受性とを併有した、この卓越した私小説家の言葉には、全く比喩的な意味はないのであって、僕も宇野氏とともに、この言葉を氏の吐いた言葉のうち最も美しいものの一つに数えるが、僕等を今日苦しめている私小説問題の標語的意味を、ここに捜そうとは僕は思わぬ。』(文学界の混乱)

 

・『今年度の傑作は何であったかという質問に人々は何と答えたか。谷崎氏の「春琴抄(しゅんきんしょう)」と。僕も言下にそう答える。そして今日の時世に生きる不思議さを思い、馬鹿々々しさを思い、併せて自分の希(ねが)いについて思うのだ。』(文学界の混乱)

 

・『僕は今ドストエフスキイの全作を読みかえそうと思っている。広大な深刻な実生活を活き、実生活に就いて、一言も語らなかった作家、実生活の豊富が終った処から文学の豊富が生れた作家、而(しか)も実生活の秘密が全作にみなぎっている作家、而も又娘の手になった、妻の手になった、彼の実生活の記録さえ、嘘だ、嘘だと思わなければ読めぬ様な作家、こういう作家にこそ私小説問題の一番豊富な場所があると僕は思っている。出来る事ならその秘密にぶつかりたいと思っている。』(文学界の混乱)

 

・『ジイドの文学批評は、今のフランスの文学批評のうち私の一番好きなものである。ヴァレリイの評論も好きでずい分耽読(たんどく)したが、これは別格な味いのするもので、防寒具をつけていないと棲(す)めない様な世界につれて行かれるので、呑気(のんき)な気持ちで読めない。心が弛(ゆる)めば何が書いてあるやら直ぐ解らなくなる。ジイドの批評だって呑気な気持ちでは読めぬが、少くとも裸体でよめる。向うが裸体で喋(しゃべ)っていてくれるのが為であろう。』(アンドレ・ジイドのドストエフスキイ論)

 

・『現実以上の夢を語る必要はない、夜眼前に現れる夢以上の夢を書く必要がどこにあると作者は言っている様に思われる。』(「罪と罰」についてⅠ)

・『つづく殺しの場面は、この作者の見せてくれる数々の劇的場面のうち最も美しいものの一つである。計算は終わった。答えを書けばいい。透明簡潔、ジイドはレンブラントの様に描くと彼を評したが、この場面の如きは、時に彼はダヴィットの様にも描く事を示す一例である。』(「罪と罰」についてⅠ)

 

レンブラント・・・オランダの画家で、代表作は「夜警」、ダヴィッド・・・フランスの画家で代表作は「ナポレオンの戴冠」

 

・『空想が観念が理論が、人間の頭の中でどれほど奇怪な情熱と化するか、この可能性を作者はラスコオリニコフで実験した。』(「罪と罰」についてⅠ)

 

・『彼は自分の孤独感を、どう表現していいか、どう始末していいかわからない。』(「罪と罰」についてⅠ)

 

・『彼はこの気むずかしく謎めいた自分の印象に驚いて、自分で自分を信ずる事が出来ないままに、その解決をば、遠い未来へ預けて置いたものである。』(「罪と罰」についてⅠ)

 

・『限界のない獣性が繊巧にまで達した様な男、こういう男の顔が仮面に似ずしてどんな生き物に似ていようか。』(「罪と罰」についてⅠ)

 

・『僕は嘗(かつ)て「機械」は「日輪」以来、彼の野望が純潔な表現を得た稀れな場合の一つだと書いたが、今もそう思っている。彼の野心は屡々(しばしば)稚気を帯び、要らざる装飾、要らざる拵(こしら)え事のうちに迷い込んでいる、而(しか)も彼自らはこの間の事情に就いて明瞭には知らないのである。』(新年号創作読後感)

 

・『一体抒情的な人は又知的なもので、川端康成豊島与志雄などがその典型だが、横光利一は叙事的で感覚的な気質の典型の様に思う。谷崎潤一郎志賀直哉なぞがそれである。彼の気質は「書翰」を読むと実によくわかる。こういう様な、自分の作品はどういう意図でかかれ、どういう風に解釈さるべきものかを語る様な場合になっても、文章をリイドするものは飽く迄も感覚である。』(新年号創作読後感)

 

・『「愛情は金だ」などという言葉が飛び出して来ると、そのまま素直に受けられない様な気がする。こんな言葉は大した言葉で、こういう言葉が処を得てうまく納る様な小説はそう誰にでも書け様とは思わぬ。』(新年号創作読後感)

 

・『正宗白鳥の「藪睨(やぶにらみ)?」(「改造」)と「蔵八と慶三など」(「文藝春秋」)を読んだ。氏の最近の短篇には屢々敬意を表したから、新規な味い別にみられぬこの二短篇今更言う事なし。「山本有三論」は興味をもって読んだ。あそこに書いてある事、僕には正しい様に思われる。氏の批評を読むと文学に対する大きな情熱は勿論のこと、美しいものに対する憧憬もみえ温情もうかがわれるが、どうしてこう小説ばかりは寒々としているのだろう。美しいものが書きたくないのでもなく、書こうとしないのでもなく、ただ何んとはなしに寒々としたものばかりが出来上って了うのであろうか。不思議な事だ。』(新年号創作読後感)

 

・『作品を鑑賞するという事は、作者と読者との間の微妙な共同作業に他ならぬ。一流の作品を鑑賞する場合、作者側の協力が過分に働きかける処から批評の困難は生ずるのであるが、そういう困難を評家は実際上困難とは感じないものである。何故かというと困難に参するのが楽しいからだ。』(文芸時評

 

・『この青春の歌は汚れてはいないが、色褪(いろあ)せてみえる。』(文芸時評

 

・『青春というものを本当に正面から掴んで、これに積極的な表現を与えるという仕事に成功した作家は少いのだ。才能などではごまかし切れぬのである。
 例えば佐藤春夫氏の「田園の憂鬱」だとか、川端康成氏の「伊豆の踊子」などは、典型的な青春の書である。これらを読むと、作者が幸福だったにしろ不幸だったにしろ、青春時というものを心を傾けて生き、胸一杯に呼吸した事を感ずる。誰にでもめぐまれた幸福だとは限らない。独歩には青春の書が書けたが、漱石には書けなかった。トルストイには書けたが、ドストエフスキイには書けなかった。』(文芸時評

 

・『川端氏の近頃の傑作「禽獣(きんじゅう)」にしろ、ああいう無気味な程冷たくひねくれた心を描くに到っても、作者が若年期にはっきり掴んで置いた一種冴え返った感傷を忘れていない処から作品が不思議な若々しい青春的なものを纏(まと)っている。』(文芸時評

 

・『今日の新作家で、青春というものを大切にして、充分にその秘密を生きて、はっきりとした里程標を建てて置こうと努力している作家が少いのは厭(いや)な傾向だ。梶井基次郎などは正直に腹一杯に青春を食べた。「檸檬(レモン)」は、その陰鬱、孱弱(せんじゃく)な外貌(がいぼう)にかかわらず、遅疑のない張りつめた青春の歌だ。』(文芸時評

 

・『この有毒の書を世に紹介するのは、吾々の誠実な悪意である、と訳者等は言っている。』(レオ・シェストフの「悲劇の哲学」)

 

・『僕には彼の毒をうすめる力がない。』(レオ・シェストフの「悲劇の哲学」)

 

・『何を知りたいと欲しても、既によく知っている現実の姿に、又してもつれ戻されるのである。』(レオ・シェストフの「悲劇の哲学」)

 

・『単純明瞭な描写の裏側は実に繊細をきわめている。』(「中央公論」の創作)

 

・『技法上に新しいものがないとはいえ、緊密に注意の行きとどいた好短篇に、かっきりした図柄のなかに随分複雑な世界を暗示するものがたたき込まれているというところに感服すべきである。』(「中央公論」の創作)

 

・『氏に「芥川龍之介を哭(こく)す」という文章がある。才能の重圧の下に玉砕(ぎょくさい)したこの友人を悼(いた)んだ時、佐藤氏は、己れの才能の重荷を痛感してはいなかったか。恐らく自分の才能はこの友人の場合とは比較にならぬほど狡猾(こうかつ)に自分を裏切っているかも知れぬ事を聡明な氏は感じていた筈(はず)である。佐藤氏は芥川氏を、窮屈なチョッキがぬげぬ人と評したが、芥川氏は佐藤氏を、あんまり浴衣(ゆかた)がけだと評したそうだ。僕としては佐藤氏の浴衣がけに屢々(しばしば)涼風が訪れたとは信じないのである。』(佐藤春夫論)

 

・『世人は佐藤氏を評して才人という。いかにもそうだ、氏は己れの才を信じない才人である。』(佐藤春夫論)

 

・『逝くなって作品の他なんにも残っていない今こそ、直木氏の真価が問われはじめる時であり、作家は仕事の他、結局救われる道はないものだ、という動かし難い事実に想いをいたすべき時だ。』(林房雄の「青年」)

 

・『「青年」は、雑誌に発表されて以来、いろいろ批評された様だが、そういうものを全く念頭に置かずに、読後、心に浮んだ感じを率直に言うなら、これが林房雄だという言葉で僕の心は一杯になって了(しま)ったと言いたい。』(林房雄の「青年」)

 

・『何かしら男同士で酒を呑む様な、感傷をまじえぬ人なつかしさの様なものを感じつつ、「日本最初の西洋料理」の場面に至って、奇妙な美しさが僕を打ったのである。』(林房雄の「青年」)

 

・『現実の生活にもオリヂナルなものの這入り込む余地はないのだ。』(林房雄の「青年」)

 

・『君は才人だ、併し「青年」だけは心でかかれている。』(林房雄の「青年」)

 

・『ラスコオリニコフは自分の殺人行為に就いて悔恨を感じていない。だがこの行為を他人に絶対に秘密にして置かねばならぬ必要は感ずる。この必要が罪というものの正体だ。』(断想)

 

・『ドストエフスキイは「罪と罰」で、所謂(いわゆる)宗教の問題も倫理の問題も扱ってやしない。罪という言葉、罰という言葉を発明せざるを得なかった個人と社会との奇怪な腐れ縁を解剖してみせてくれたのだ。』(断想)

 

・『言うまでもなく彼は気味の悪いほど冴え返った観察家であった。』(「白痴」についてⅠ)

 

・『彼は解決を求めて摸索する思索人ではなかった、一点に止って円熟する芸術家であった。』(「白痴」についてⅠ)

 

・『作者の心を主人公の口に託そうとする凡庸作家の物欲しさは、ここには全く見られない。』(「白痴」についてⅠ)

 

・『二人は並んで腰を掛けているが全く別々の世界の住人である。』(「白痴」についてⅠ)

 

・『人間のある行為に意味を附し、ある行為を無意味とする常識の世界に彼は住んでいない。』(「白痴」についてⅠ)

 

・『彼の教養には専門化を知らぬ野性がある。』(「紋章」と「風雨強かるべし」とを読む)

 

・『日本の文学が論理的な構造をもった思想というものを真面目に取扱い出したのは、マルクス主義文学の輸入から始るので、恐らくここ十数年来の事で、その慌(あわただ)しさや苦しさは、自ら書いて来たものを振り返ってみるだけで充分だ。つらい事はたった今始ったばかりだと僕は思っている。』(「紋章」と「風雨強かるべし」とを読む)

 

・『性格は個人のうちにもはや安定していない。それは個人と個人との関係の上にあらわれるというものになった。』(「紋章」と「風雨強かるべし」とを読む)

 

・『人々はただ事件にぶつかった人間の告白だけが聞きたいのである。』(文芸月評Ⅳ)

 

・『それは人にはそれぞれ専門の道というものがあり、その道の深さや複雑さは、その道に這入(はい)った人でないと、素人にはわかり兼ねるのは当然です。』(文章鑑賞の精神と方法)

 

・『素直に文章を味い、その感想を愉快に語りあっている一般の人々の方が、かえって文学の真意を了解しているのだと言うのです。』(文章鑑賞の精神と方法)

 

・『一定の意見を持たずどんなものでも素直に味おうと心掛けて、心を豊富にして行く修行は、批評なぞをする事よりも難かしい事だと知らねばなりません。』(文章鑑賞の精神と方法)

 

以上、上記文章は全て「小林秀雄全作品 「罪と罰」について」より引用しました。