ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

水上瀧太郎が語る泉鏡花6

水上瀧太郎(みなかみたきたろう)は泉鏡花を師と仰ぎ、彼が1928年(昭和3年)に書いた「鏡花世界瞥見」は、1967年に筑摩書房から出版された「現代日本文学全集9 泉鏡花 徳冨蘆花」の一巻に掲載され、それから5年後の1972年に同社から発行された「現代日本文学大系5 樋口一葉・明治女流文学・泉鏡花集」ではこの解説は現代仮名遣いに改められた上で、所載されています。今回は、現代仮名遣いに改められた左記の本稿を全文『』内にて引用しております。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

 


『先生が浪漫派である事は、科学者が自然主義者であると同様当前(あたりまえ)の事だ。だから、写実派の大家尾崎紅葉先生の門下となり、神の如く崇拝しながら、なお且個性の赴くがままに、異なる道を踏んだのである。
 超自然力に対する信仰を持つ先生は、神かくしにあう子供、幻を見る人、深山の夜更には草木も禽獣も人語を解して不思議を物語る場面をこそ描け、自然派以後の日本文学の一特色となった家常茶飯事、身辺雑事を平面的に描く事は、全く顧みない所である。理想世界を構成する為には、ありのままの世の姿は往々邪魔になるから、兎角きびしい嘲罵を加えられ勝ちだ。理想世界の唯美境を讃美する一方に先生の心は常に現在の世の中の醜悪面に対して反撥する。例を初期の作品にとると、うでの修練に対する情熱から「取舵」が生まれ、義侠心に対する熱情から「義血侠血」が生まれると同時に、衆俗に対する反抗から「予備兵」が生まれ、威張った奴を叩きふせる精神から「金時計」「大和心」「鐘声夜半録」が生まれた。極端な例は「貧民倶楽部」で、上流貴族に対抗する四谷鮫(よつやさめ)が橋の貧民窟の一団を描き、作者は後者に味方して前者の秘事をあばき、偽善を罵り、遂に彼等を屈服せしめるのである。
 先生の観音力を頼む心は、対人関係に於ても同じ力を以て発表される事がある。父母に対する信頼は、神仏にむかうと等しく、年下の少年が年上の美女を慕う心持にも、神仏に縋るような絶対信頼が伴う。師に対する弟子の信仰は、紅葉先生をモデルにした人物をかりてあらわされる。万一紅葉先生又は紅葉先生の作品に対して悪しざまにいう者があるなら、泉先生は生涯その者と盃のやりとりをしないであろう。
 だが何といっても、鏡花世界の本舞台で、作者の理想を一身に担ってはなばなしく活躍するのは美女である。先生は頗るつきの女性讃美者だ。但し醜婦は此の限りで無い。明治三十年に発表された「醜婦を呵す」という一文は、最も痛快明白に此の事実を宣言したものである。
 村夫子は謂(いふ)。美の女性に貴ぶべきは、其面(おもて)の美なるにはあらずして、単(ひとえ)に其意(こころ)の美なるにありと。何ぞあやまれるの甚しき。
 こういう書出しで、男子が花鳥風月おw楽むのは、畢竟するに未だ美人を得ざるものか、或は恋に失望したるものの万止むを得ずしてなす負惜みの好事に過ぎない、宇宙間最も美なるものは女で、女たる以上は美ならざるべからずと喝破した。
 薔薇には恐るべき刺(とげ)あり、然れども吾人は其美を愛し、其香を喜ぶ。婦人もし艶にして美、美にして艶ならむか、薄情なるも、残忍なるも、殺意あるも亦害なきなり。
 (略)
 希くば、満天下の妙齢女子、卿等(おんみら)務めて美人たれ、其意(こころ)の美をいふにあらず、肉と川との美ならむことを、熱心に、忠実に、汲汲として勤めて時のなほ足らざるを憾(うら)みとせよ。読書、習字、算術等、一切の科学何かある、唯紅粉粧飾の余暇に於て学ばむのみ。
 (略)
 あはれ願くば巧言、令色、媚びて吾人に対せよ。貞操淑気を備へざるも、得てよく吾人を魅せしむ。然る時は吾人其恩に感じて、是を新しき床の間に置き、三尺すさつて拝せんないr。
 
 こういうような美人礼讃は、やがて先生の唯美主義的傾向を示すものであるが、これを以て直ちに女は男の為に美しければいい、男のおもちゃに過ぎないのだという意味に解釈するのは間違いで、女性崇拝の先生は、女ー或は美しき女に限るーを男に隷属するものとは考えない。反対に、女も独立、自由、我儘、奔放でなければならないのである。之を許さず、手枷足枷を強いる道学者は、屢々作品の中に引摺り出されて、袋叩きにあわされる。殊に、結婚によって女の自由の束縛される事に対し、先生は熱烈なる語をつらねてその非を鳴らし、女の肩を持つ。
 明治二十八年に発表された「愛と結婚」という論文は、先生の恋愛観を知るべき合鍵だ。
 媒酌人先ついふめでたしと、舅姑(きうこ)またいふめでたしと、親類等皆いふめでたしと、知己朋友皆めでたしと、渠等(かれら)は欣々然として新夫婦の婚姻を祝す、婚姻果してめでたきか。
 暴騰にこういう疑問を提出して、当時二十三歳独身童貞の先生は、婚姻は当事者本人達にとって決してめでたい事では無いと喝破した。
 一旦結婚したる婦人は(略)吾人は渠(かれ)を愛すること能わず、否愛すること能はざるにあらず、社会がこれを許さざるなり。愛することを得ざらしむるなり。要するに社会の婚姻は、愛を束縛して、圧制して、自由を剥奪せむがために送られたる、残絶、酷絶の刑法なりとす。(略)妻なく、夫なく、一般の男女は皆ただ男女なりと仮定せよ。愛に対する道徳の罪人は那辺にか出て来らむ、女子は情のため其夫を毒殺するの要なきなり。男子は愛のために密通することを要せざるなり。否、ただに要せざるのみならず、爾(しか)く不快なる文字はこれを愛の字典の何ページに求むるも決して見出すこと能はざるに至るや必せり。
 結局恋愛の自由を主張して「婚姻は蓋(けだ)し愛を拷問して吾に従はしめむとする、卑怯なる手段のみ」と叫んだ。尤も此の論文の最後には、結婚はめでたくはないが、社会の為に身を犠牲にして行うものであるから、慇懃に新夫婦に向って感謝すべきであると説いている。』

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