ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

若園清太郎が語る坂口安吾と中原中也

 1976年に(株)昭和出版から出された、若園清太郎 著「わが坂口安吾」には、坂口安吾を中心として、中原中也安吾に関係のあった文士達の姿が、当時バルザックの研究家であり、多くの文士達と交遊のあった若園清太郎が親交を思い出しまとめた本です。以下、『』内の文章は、左記の本からの引用になります。坂口安吾中原中也の研究の一助になれば幸いです。

 


 若園清太郎の「わが坂口安吾」は、種田山頭火中原中也の研究家として著名な、村上護がこの本を作るにあたって助力しており、作中では、安吾の人生を追う中で取りこぼしたエピソードなどをこの二人の対談で補完しております。


 以下、下記の内容は安吾が参加していた同人「桜」、中也が寄稿していた「紀元」についての対談部分です。「紀元」は若園清太郎が運営委員を務め、それまで若園が運営していた同人誌「青い馬」と中也がかつて参加していた同人誌「白痴群」の執筆者達が、原稿を掲載しておりました。


村上 ~中略~ところで、ランクづけするのはおかしいのですけど、『桜』はある程度、名前の出た人ですね。それに対して『紀元』はその頃文壇には出ていなかった人々の集りだったわけですね。
 若園 そうですね。中也は書きましたけど、中也は既にあの当時はスランプで、前には、ちょっとぐらい名前は知られていましたけど。
 村上 その『紀元』が出る前に若園さんは、『悲劇役者』を出された。
 若園 ええ、昭和八年八月下旬で、伊藤整さんが編集長をしていた神田の金星堂からです。
 村上 そのときに、出版記念会をされたはずですけど。~中略~
 若園 たしか東銀座の「末広」だったかと思うのですが、それが大変荒れましてね──。皆が酒を呑みかわしているうちに、滅茶苦茶になりましてね。安吾と江口が喧嘩したり、また、安吾三笠書房の竹内道之助と取っ組み合い始めそうになったり、中也がまた酔っ払って盛んに暴れ廻ったりね、どうにもならないでしょ。~中略~
 村上 中也が荒れて、江口さんをなぐったというのは。
 若園 いや、それは中也じゃないでしょ。
 村上 そうですか。
 若園 それには一寸わけがあるんです。というのはね、私達が江口に『紀元』に入らないか、といったんです。片山が商業学校時代の友達なんです、江口の。入ってもいいが同人費はしばらく払うのを待ってくれというんですよ。それで私も世話役なんかしていましたから、片山にいったんですよ。これは『青い馬』じゃないんだ、と。他はみんな同人になって一月五円納めるのが建前になっているのに、お前だけ払わんとは何ごとだ、といったんですよ。それが安吾の耳に入ったんですよ。それで安吾は怒っちゃって、いきなりぶんなぐっちゃって……、そういうことなんですよ。
 村上 中也も荒れるし、みんな荒れたわけなんですね。ところで『悲劇役者』が出て後ですね、『紀元』が創刊されましたのは。その世話役は若園さんがほとんどされたんでしょう。
 若園 そう、大体、私と山沢種樹と隠岐和一ですね。
 村上 『紀元』発行所の最初は内幸町ですね。
 若園 そうです。内幸町の当時の都新聞社の裏にありました。
 ~中略~
 村上 中也はその事務所へも遊びに行ったらしいですね。
 若園 ええ、あの男、ひょこひょこっとしていますが、中々要領がいいですからね。私は『紀元』に書いてますけど、「中也の態度」という題でね。
 村上 たいへん面白いと思うんですけどね、中也のひとつの面が出てですね。中也のあの頃の傑作が『紀元』に何篇か発表されたのですが、当時の中原中也を同人たちはどう評価していたんでしょうか。
 若園 中原中也も落ちぶれて一時スランプがありましたからね。あまり詩も発表することもないし……。
 村上 ちょっとそういう時期がありましたね。少し荒れちゃって、みんな相手にしない時期がありましたからね。その時にかえっていい詩が『紀元』に載っているわけです。ですけども、安吾は中也を評価していたようです。
 若園 ええ、それは立派なものですよ。
 村上 安吾の甥で古田島昭五さん、現在はお医者さんなんですが、その古田島さんに、安吾は、おれの友達に偉いのおるのだよ、中原中也というんだがね、と話したといいます。その時古田島さんは中也を詩人と知らず、どんなに偉い人なんだろうと思っていたらしいんですよ。ただ安吾は偉いのがおると頻りに言っておったというのです。
 若園 『紀元』もね、私、「歯車」という小説を書きましてね。まあ偶然にも芥川の「歯車」と題名が一緒になったんですけどね。中也が激賞してくれましてね。~中略~
 村上 安吾には翻訳もあるし、評論も書く、小説でも説話体とか、いろいろ書きわけをやるけれども、それは外国文学の方法を身につけたというか、影響があったわけですね。
 若園 ええ、あるわけです。
 村上 若園さんはバルザックの研究家としては認められたわけですけど、安吾になると研究者でなく、バルザックの創作方法をうまく応用したといえますね。方法に関して、安吾と話合ったこともあったんじゃないですか。
 若園 それはやっぱりフランス文学は、ドイツ文学やイギリス文学と違って割にいろんな文学の流れがありますね。バラエティに富んでいますからね、作家も。
 村上 ですから安吾の場合も、フランス文学から単に影響を受けただけでなく、創作方法をうまく身につけたといえますね。
 若園 そう、現に私はあの後で、「バルザックの方法」という本も書いているんです。ある意味の方法論ですね。つまり、バルザックの文学を分解して、バルザックというのはいろんな形の小説を書いていますね。
     そういえば、何時か江戸川乱歩がね、安吾の年忌の時に話しましたが、乱歩はね、バルザックというのは推理小説の元祖だというんですよ。
 村上 とにかく安吾のものを読んでいて、創作にいつも工夫がありますよ。それが現在も新しく……。
 若園 一番むずかしいのはテクニックですよ、一番フランス人が豊富ですからね。
 村上 そうだと思います。 』


 安吾が中也について、偉いのがおると言っていたのは実に意外な気がしました。
ですが、安吾は中也の詩についての評価は一切しない代わりに、こういった形で彼の作品を評価していたのかもしれませんね。