ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

泉鏡花作品解説集4

清水書院から1966年に出版された「泉 鏡花 人と作品」に掲載されている解説は、主立った作品が書かれた時代背景や、泉鏡花自身が作品を書くにあたっての人生の背景を仔細にまとめてある好著です。以下、『』内の文章は左記の本からの引用となります。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

 


 照葉狂言


『岩波発行の鏡花全集(昭和一五)の巻末にある「鏡花小解」には、この作品によせて
 ふるさとの木槿(むくげ)の露
   小親(こちか)の楽屋は今もなつかし
 とあるばかりである。透きとおる水の滴るように清純な、抒情詩の一節とも呼べるこの詞句にこそ、「照葉狂言」の発想がうかがわれる。
 人間は、だれしも故郷を思う。しかし、故郷を慕う心とは、ただ単に、空間的距離的なものに寄せる心ではない。それはかならず往事への回想とも結びつく心である。過ぎ去った時間への痛みでもある。「今でない時、ここでない所」を描くのは、ローマン主義作家の好むところである。ローマン主義文学の系譜の中にこそ、確かな位置を占める鏡花が、心の底から追慕してやまない世界である。かなしいほどに美しい白雪によって覆われた北国金沢の地は、耽美感性の詩人鏡花を育てた地としてまことにふさわしい。すでに、生涯編でも述べたように、幼くして母に死別した鏡花が母性を追慕するの情は、やるせないほどにひたむきなものがあった。そして鏡花は、母なし児のかれを憐れみいとおしんでくれた年上の若い女性に取りかこまれて、つねに姉弟的恋愛感情の甘美なたゆたいの中で育っていった。
 『夜行巡査』『外科室』によって、一躍新進作家となった鏡花は、翌年明治二十九年に入ってからもひきつづき好調であった。一月に「国民之友」に『琵琶伝』を、「太陽」に『海城発電』を発表した。ここで、小石川の大橋乙羽宅を去って、大塚町に転居独立して、郷里の祖母きてと弟の豊春を迎えて世帯を持つに至った。さらに五月に『一之巻』を「文芸倶楽部」に、以後、『ニ之巻』から『六之巻』とつづけて、翌三十年一月に『誓之巻』によってこのシリーズを完結した。これら一連の作品は、いずれも郷里金沢を舞台にしたもので、幼時の追憶をもとにした淡い愛の物語であった。そして、このシリーズの発表と並行して、しかもこのシリーズ決定版ともいうべき『照葉狂言』を、十月から十二月に至る三ヵ月間「読売新聞」に連載することになった。思えば二十七年、同じ「読売」紙上に、師紅葉のバックアップによって、なにがしの署名で『予備兵』『義血侠血』を発表して以来のことであったが、今度の連載は、師の名も借りずに、また一時しのぎのペンネームにもよらず、新進作家泉鏡花のレッテルによってのことであった。「よくぞここまで来たものだ」との感慨は、だれよりも鏡花自身が一番抱いたはずであった。
 ところで、この『誓之巻』シリーズや、『照葉狂言』のような、美しくも淡く遠く、失われたこども時代への清らかな慕情によって支えられたるこれら作品を、鏡花が手がけるようになった動機としては、樋口一葉の『たけくらべ』、および森鴎外の『即興詩人』の影響であるといわれる。そしてこの中で、鏡花が、心中ひそかにライバル視していたのは樋口一葉であった。一葉の方は、すでに二十七年『大つごもり』を発表しているとはいえ、新進作家としての声望が定まったのはやはり、二十八年の『たけくらべ』によってであった。したがって、文壇進出の歩みのテンポは、ほぼ鏡花と並んでいたといえる。鏡花と一葉とのつき合いが、どの程度のものであったかはわからないが、面識もあり、しばしば一葉宅へ訪れていたとは、すでに述べたとおりである。『誓之巻』「鏡花小解」には
 「一二三四五六巻より続けて、新年の「文芸倶楽部」に、誓之巻を稿せしは、十一月下旬なりき。
 また一しきり、また一しきり、大空をめぐる風の音。
 この凩(こがらし)、病む人の身を如何(いかが)する。「みりやあど。」
 「みりやあど。」
 目はあきらかにひらかれたり。……略
 樋口一葉の、肺を病みて危篤なる見舞ひし夜なり。」
 とある。「いずれにしても、「文学界」に掲載された『たけくらべ』が、たいへんな評判となって、二十九年四月の「文芸倶楽部」にふたたび載った事実、そしてそれが、文壇の最高権威の森鴎外をして、「われは、たとい世の人に一葉崇拝のあざけりを受けんまでも、この人にまことの詩人といふ称をおくることを惜しまざるなり。」(『めざましい草』)とまでいわせた事実とは、鏡花の心を強く刺激したに違いない。
 『たけくらべ』は、吉原の裏町に住む少年少女の生活を描いたものである。やがて花魁(おいらん・遊女の一種)になることを運命づけられている大黒屋の美登利という少女を挟んで、寺の息子の真如という賢いが内気な少年と、金貸しの祖母に育てられているむじゃきな正太との、幼い恋の鞘当てを物語の筋としている。少年少女の淡い恋を、下町情緒の背景にちりばめた作品である。それが、あのように高評を得たものなら、自分は、清艶芳香たる雪の国金沢を背景にして、みずみずしい抒情小説を書いてみようと決意したことであろう。また、この作品の貢少年と女芸人小親、または広岡のお雪との清く淡い恋情は、鴎外の『即興詩人』(明治二五・アンデルセン原作)の主人公アントニオとアヌンチャタとの間柄にも似ているといわれる。事実、鏡花の『即興詩人』へのほれこみ方は、
 「春も秋も、分けて即興詩人は、殆ど一日も拝見しない日はないと言つていいくらいです。……日盛の碧空を寝転んで見ながら(略)……即興詩人を読むのが会心です。」(「みなわ集」)
 と、なみなみのものではなかった。
 しかし、いくら『たけくらべ』や『即興詩人』が鏡花の心情に強く働きかけようとも、この『照葉狂言』は、まさしく鏡花そのものである。それは、いままでじゅうぶんに目覚めていなかった鏡花ロマンチシズムが、この二作の詩情によって誘い出されたというべきであって、決して『たけくらべ』や『即興詩人』の亜流でも二番せんじでもないのである。』

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