ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

正宗白鳥による谷崎潤一郞と佐藤春夫人物評伝1

中央公論社から出版された正宗白鳥の「文壇人物評論」から「谷崎潤一郞と佐藤春夫」の現代語訳を以下に全文掲載しております。手前勝手な現代語訳であるため、正確性に欠ける点があるかもしれません。その点につきましては、ご了承ください。また、正宗白鳥のこの本における章タイトルは間違いなく「谷崎潤一郎佐藤春夫」なのですが蓋を開けてみたら、「佐藤春夫谷崎潤一郎」の順番で綴られているため、まずは、佐藤春夫パートを途中までお楽しみ下さい。

 


 いい意味か悪い意味かで多少文壇の批評に上がっているらしいのに読書欲を刺激されて、私は、「武蔵野少女」という新刊の長編小説を通読した。佐藤春夫の最近の創作である。
 これは時事新報に連載されたものだが、新聞社を喜ばせた小説ではあるまい。一回毎に多数の読者の興味を惹く性質のものではない。藤村花袋秋声漱石などの長篇は多く新聞に発表され、文学史上に残るようなそれ等の傑作が新聞紙を発表機関とすることも、さして不似合いには思われなかったが、それは一昔も二昔も前の事で、今日の新聞はそれ等の長篇物を甘んじて連載する舞台ではなくなっている。新聞小説という別種の文学が要求されているので、その方で巾を利かせようと思えば、それに適応する態度を取らなければならぬので、いたずらに俗悪呼ばわりして新聞社の小説選択態度を非難するのは、迂愚な沙汰である。新聞社や劇場が、読者受けのしないものや見物受けのしないものを、たといそれが芸術的逸品であったにしても、採用しないのは当然過ぎるほど当然なことで、物質上の損失の大嫌いな我々人間が、大切なお得意である読者の見物のご機嫌にかなわないものを取り上げる訳はないのだ。
 それで、新聞という舞台が作家の金と名を得るための最大重要な場所であると極まると、それに反抗するものがあろうとなかろうと、それに適応するような作風が流行するのは、大きく云えば宇宙自然の理法なので、水の低きにつくが如くである。適応しない作家は落伍する外はないので、自然淘汰の天則はここにも行われるにちがいない。私は、菊池寬君や山本有三君の新聞小説は、出来不出来はとに角、その舞台に適応するように企てられていると思う。はじめから通俗作家を志して文壇に出たとは思わない二氏も、素質がそれに適していたのか、時世を見る明があったのか、新聞小説読者の好みに投ずる用意は有っている。
「武蔵野少女」には、その用意が乏しい。佐藤君も、新聞小説をかなり沢山書いているらしいから、中には新聞小説作法にかなった傑作があるのかも知れないが、少なくもこの小説は新聞向きでないと思われる。…しかし、私は、新聞社の文芸面担任者ではないし、新聞社の株主ではなしこういう小説のために読者が増えようと減ろうと、自分に取って何の損得もないので、純粋の文学愛好者としての小説を読み、何の拘束のない自由批評家として、批評を試みようとするのである。一巻に纏まったものを一日がかりで読み切ったのだから、一回一回の小細工をした興味に釣られもしなかった。読んでいるうち、おりおり退屈した。物足らぬ思いをした。だが、作家が人間を描こうとする真面目な態度を持し、面白づくで空々しい筋立をつくろうとしているところのないのが、私には気持ちがいいので、兎に角結末まで見ることにした。この頃幾つかの長篇小説に対して、読みかけて中途で巻を投じたような侮蔑をこの小説には加えなかった。読後、少なくもこの作品を対象として、わが文学を論じ人生を語ってもいいように思ったのである。
 私は短編ばかり書いているのでよく分からないが、長篇小説を筆にたるみなく書き上げるのは容易な仕事ではないであろう。「武蔵野少女」は、以前の佐藤君の特色であった主観的な抒情味の豊かなものではない。広い世界を素材として、いろいろな人間を描写し、いろいろな人情を叙したもので、
「田園の憂鬱」の作者の小説道も進歩発展し、大いに老熟したように思われたが、それとともに全体から受ける印象が稀薄なようにも思われた。私はちょっと歯痒いような感じもした。可憐な少女が物質には恵まれなくても、温かい愛情に包まれて、成育して、悲劇を身に背負わないで結婚生活に入るのは、読者も安心して一巻を読み終われる所以で、筆づかいの刺々しくないのが、その作者の特色なのであろうが、しかし、人間の扱い方が常識的なところに停滞していると思われないではなかった。この小説を読んで私が思い出したのは、この作者の出世作である「田園の憂鬱」と「都会の憂鬱」とであった。「武蔵野少女」の育ての親の家庭である東京近郊の生活者伏見一家の人生は田園の憂鬱の再現であり、生みの親である貧しき東京生活藤木一家の人生は都会の憂鬱の再現であると云えないことはない。新作長篇の材料は友人から提供され、友人の体験も取り入れられていると、作者自身も云っているが、しかし、この作品に芸術的生命の与えられたのは、作者が十数年前に心にはぐくんだ田園都会の両憂鬱の力であると私は感じた。爾来十数年の人生経験が作者佐藤春夫の小説を成育させ、いろいろな美しい花を咲かせ実を結ばせたのに違いないがかの初期二篇に於いて作者の芸術の基調は極まっているのである。そう思って私は、かつて速読したことのあった、かの二篇を新たに読み返したが、二つとも面白かった。この頃雑誌でおりおり見る佐藤君の作品よりも面白かった。ヘルンが日本の学生に教えている如く、二度三度繰り返して読んでも価値の薄れない作品が、本当の傑れた芸術であると云っていいので、かの二篇は数多き大正期の小説中で注目に値するものなのだ。私は元来佐藤君などとは、文学芸術に対し嗜好を異にしているらしく、その作品も、平生あまり読んではいないのだが、今度かの旧作二編を清新な芸術に接した気持ちで通読した。「田園の憂鬱」は、私も田舎生活をしているので、自分が日常見聞していること感じていることが、この作者によってよく書かれているのに興味を覚えた。明治時代にも、こういう田園生活を書いた小説はあったが、多くは粗末で、かつ型に捉われていて生気がなかった。独歩にも、武蔵野生活を題材とした短篇は幾つかあるが、自然の描写は清新であっても、人間の現実は書けていないで、今読むと稚拙の感じがする。今ヘルンの名を出したので思い出したが、ヘルンの日本田園賛美の感想は要するに異人の夢であって、真相を穿ってはいない。そこに彼がロマンチストであり夢幻趣味の芸術家であった面白さがあり、明治以来のロマンチシズムの作品は、日本の作家のうちから傑れたものを求むること難くして、ヘルンの如き外国人の作品か、あるいは森鷗外などの創作的翻訳にこれを求めなければならぬことになるのだ。それにつけても、ヘルンの西洋文学評論に心酔することも警戒しなければならなかったのだ。ヘルンは自己の趣味に惑溺する人であった。
「田園の憂鬱」には、断片的ではあるが、憂鬱な青年の目に映った田舎の光景が印象深く描かれている。田舎の老若男女の面目が一瞥的(いちべつてき)にでもヴィヴィッドに現れている。それに比べると、「武蔵野少女」は細叙されているに関わらず、それから与えられる印象が稀薄だ。伏見の爺さんはまだいい。婆さんや少年の豊作は甚だ平凡だ。こういう人間の性格描写になると、時代おくれと云われても、自然主義時代の秋声泡鳴藤村等の諸氏の作品の方に断乎として傑れたところがあると、私は考えた。爺さんは人がよくって、婆さんは里子のお徳を可愛がりながらも打算的なところがあると、媼(おうな)翁両者の性格別をするのも、「舌切雀」以来の旧套(きゅうとう)である。無論作者が爺さんをそういう人物として描き、婆さんをそういう人物として描くのも結構だが、それなら、もっと心理と行動に突っ込んだところがなければならぬ。婆さんにおりおり邪推を廻させたり欲の深そうなことを云わせるのも、取ってつけたようである。それに比べると、「都会の憂鬱」のなかの、妻君の母親間の方は何でもないような対話の間に、その心理状態が躍如としている。


細叙(さいじょ)…詳細に書き記してあること

 

「都会の憂鬱」は「田園の憂鬱」以上に面白い。文学志望の青年がまだ志を遂げざる間のさまざまな悩みを書いた小説は多い。名を成した後に無名時代不遇時代を回顧して一篇の小説に作り上げるのは、作家として快心の事で、そこは、筆の立つ有り難さで、政治家や実業家や軍人や俳優などの過去の追憶談、立身の物語とは違って、自由に、思う存分に自己を発揮し得られるのである。しかし、百人の文学志望者のうち、こういう快心な題材を取り扱い得られる幸運児は、一人か二人であるかないかと云っていいくらいで、大抵は、父母兄弟知人に侮蔑され、貧乏に苦しめられ、自己の才能の有無についての疑惑に悩まされたきりで、局面転換の幸福は味わう由もない者が多い。「都会の憂鬱」は、憂鬱な青年期を脱した後に書かれているものらしいが、波岡のある種の文壇成功者の回顧小説に見られるように、「幸福の地位に立って不遇なりし昔を思い出すほど喜ばしきことはなし」と云った特異な調子はみられない。青年期の憂鬱がそのままに現れされている。しかし、自然主義時代の憂鬱小説のように薄汚くはない。プロ派の描く貧乏小説のように理屈っぽくも薄汚くもない。芸術味横溢して、ユーモラスで、憂鬱のうちに一抹ののどかさがある。この小説の中に、女優である妻君が、「女というものは、時にははっきりと命令をして貰いたいものなのです」と、夫に要求しているが、それが「武蔵野少女」の少女お徳が、自分の身の処置に迷う時に、兄に要求する言葉になっている。かの新劇女優が、「何かの台詞にでもあるのを応用したらしい」その言葉が、少女お徳の心の動揺を作者が描出するに当たって役に立っているのである。この新長篇中の犬や猫の描写も、「憂鬱篇」中の小動物愛撫の延長で、一匹の子猫を作中に取り入れたことが、田舎家の生活描写を余程豊かにさせているのによっても、作家たるものは日常の自己の経験や雑多な知識をおろそかにしてはならないことが察せられる。伏見の爺さんが子猫の餌食にするために寒鮒釣りに出かけて道に迷って、知らない男から魚を貰って帰る話しなんか、こういう挿話には、外の長篇作家に見られない佐藤君独特の妙味がある。「春風馬堤曲譜」の描かれる所以である。
 作中の重要な人物である藤木は、都会の憂鬱を感じている男であるが、それが、著作「憂鬱篇」の主人公やそのお仲間の江森渚山などと同類の人物らしく、失敗亜した事業家としての面目が現れていない。植民地浪人の如きはどれも描き足りない。なかなか細かに書かれているのだが、印象が手薄である。どの男も女も精々お人よしに過ぎるように受け取られた。藤木夫妻にしても、夫の方からいうと、妻が夫に対して無理解であり、人生に対して不徹底ということ。妻の方からいうと、夫が我儘で得手勝手ということ。つまり、あらゆる夫婦喧嘩の言い分の公式見たようなことを根拠として衝突するのだが、二人の衝突が、日常の烈しい生活苦に責められていながら、真剣のように思われない。二人の実子を里子に出したり、先夫の子を背負ったりしている藤木夫婦の間には、もっと息苦しい葛藤がありそうに思われるのに、そういう所は省略されている。この夫婦もお人よしに過ぎるように受け取れた。だが、こういう風にのんびりしているところに、この作者の小説価値が認められないこともない。
 私は永井荷風里見諸氏の作品に親しんでいるほどには佐藤君の作品に親しんでいない。そう沢山は読んでいないのだ。それで、私の読まないものにどういう傑作があるか知らないが、今度偶然最近作の「武蔵野少女」を通読し、併せて、旧作田園と都会の憂鬱を復読して、この作者も永井谷崎氏等も同様、生まれながらの芸術家であると感心するとともに、この作者はどうして、こう浮世を甘く見るのだろうと、多少以外に感じた。作者は、自己の趣味に照らして、田舎人の醜陋(しゅうろう)に眉をひそめている。いろいろな人間の奸策や邪念をも見逃してはいない。だが、それ等は上っ面のことで、水に流れる塵芥や飛沫みたいなものだといったような態度で取り扱って、常識的な見方で安んじているように思われる。人生の底を流れる滔々たる濁流に目を注ごうともしないように思われる。明治以来の日本文学はどの方面でもお手軽であって、ロマンチストの夢も浅いのだが、佐藤君の作品にしても、浅いというのが語弊があるとすると淡いのだ。日本では伝統的に淡いもの小さなものに愛着を寄せる傾向があるのだが、明治文壇のロマンチストの代表者高山樗牛(たかやまちょぎゅう)でさえ、天下凡そ物の小さきを好むこと、我が国民の如きは無かるべし。彫刻は根付にあらざれば置物なり。画幅は扁額に非ざれば掛物なり、八州の山河を前にして人は盆栽に苦心す。文壇に歓迎せらるるものは、十七字の俳句にあらざらざれば、百行以内の短篇小説…」と概歎している。形の大小はどちらでもいいと私は思うが、小にして浅くては物足りない。私はロマンチストたるバイロンの烈しさを好む。人間に対する憎悪から、神の掟に対する疑惑と反抗の烈しさにまで達しているのを好む。熱血とか血涙とかいうと、維新の豪傑の持ち物のように思われるが、バイロンのように芸術と抱和した血涙は我々の心をも動かす魅力を有っているのである。
 佐藤君は、ある作品の抜文に於いて、「作者はだんだん年とともに、ロマン的色彩を失いつつある。」と云って、その埋め合わせに、「何ものかが別に加わるかも知れぬ」と期待している。「何ものか」とは、現実的知識か何かであろうが、私などは、「武蔵野少女」が生半可な写実的なものにならないで、ロマン的色彩の濃厚なものになっていたら、もっと面白かったであろうと思っている。時世の止むを得ざるところであるが、日本では詩人にして小説家に転じるものが少なくなかった。英国のハーディは、文学に志した初めには詩を作っていたのだが、当時の英国文壇は小説の全盛期で、詩を売ったのでは豊かな生活ができそうになかったので、詩を止めて小説を作ることにした。そして小説作家として大成した晩年に、年少時代の志を継いで作詩を楽しむようになった。日本でも詩人としては生活費が得難く、また小説家ほどに世間的名声が得難かったために転業者があったのである。日本の読者が詩を好まないのではない。古来和歌や俳諧の流布していた我国の読者は他国人よりも一層詩を好んでいる筈なのだ。それで、小説にしても詩を取り入れたもの、詩の味わいを加味したものが喜ばれるので、詩人的素質を有った小説作家の作品が、却って小説的素質を有った小説作家の作品よりも、多数に迎えられたりするのである。佐藤君の如きは、豊かな詩人的素質を有った作家であるから、その素質を大切にして、縦横に自己の特色を発揮すべきである。
 私などでも、「さんま」の唄や「殉情詩集」の詩の或ものを愛誦している。嘗て瀧田樗陰(たきたちょいん)君が私に向かって、「佐藤春夫という人は、小説を書きながら涙をぼろぼろ落としていますよ」と、今見て来たことを感動して話したことがあった。欠伸しながら笛を執った経験にのみ富んでいる私には、こういう作家の気持ちは分からなかったが、笑い事とは思えなかった。畔柳芥舟(くろやなぎかいしゅう)氏の話しとして、誰かから間接に聞いたと記憶しているが、「高山樗牛田山花袋という男とは不思議な男だと云っていたよ。一緒に箱根か何処かへ遊びに行った時に、花袋は山の眺めの美しさに、感激して涙を流したそうだ」という意味の話であった。
 これ等二つの逸話を今思い出して、私は二つとも面白いと思っている。花袋氏も、本当は、平面描写とか現実暴露とかに捉われず、ゴンクールやフローベルなどの冷徹主義の作家にかぶれず、持ち前の詩人的素質を発揮して小説道に進んで行った方が、却って自己の大を成すためによかったのではないかったかと疑われる。


醜陋(しゅうろう)・・・醜く卑しいこと。
畔柳芥舟(くろやなぎかいしゅう)・・・明治から大正にかけて活躍した日本の英語学者。
瀧田樗陰(たきたちょいん)・・・中央公論の編集者。多くの新人作家を発掘したが気性が激しく敵も多かった人物。

 

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