島崎藤村の「新生」解説2
東京堂から1961年に出版された「明治大正文学研究 特集 島崎藤村研究」から井上豊氏による“「新生」の問題”は島崎藤村が書いた「新生」についての解説です。以下、『』内の文章は左記の論文からの引用となります。また、掲載にあたって、全て現代語訳しております。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。
『白鳥は「自然主義盛衰史」において藤村の愛欲問題にふれ、「秋江の作品を読んで、よくもかく醜態を呈していると思うものもあろうが、藤村のは見かけは落着いていても、実質的には秋江以上の醜態なのだ。ああいう不倫行為があったにしても、世俗の強者はいい加減に処置していたであろう。世を恐れてフランスまで逃避したり、見苦しい煩悶苦悩はしなかったであろう。そして『新生』の主人公は、あれほど後悔懺悔の気持を味わいながら、帰朝後はまた不徳行為を続けることになったのである。浅間かしい次第である。見下げ果てた根性と言われそうである。しかし人間はかかるものと言ったような感じがして、我々を長大せしむる趣きがある。性欲を取扱う自然主義の行留りであるとも思われる、」とし、また、「藤村の秘密行為は昔雇用していた老婢には知られていたのだが、その老婢の口から伝わって世間の噂になり、新聞にでも書かれそうな情勢になったのに、藤村は感づいて、先ぐりして自分の方から芸術的にこれを告白することになったのだと、まことしやかに唱えるものもあった。実際藤村は芸術の力によって救われたのであった、」とも述べている。藤村の愚直と老獪を半々に認めつつ嘲弄したところが見えるが、「文学界」(昭和二十九年二月号以下)の「島崎藤村論」にはより立ち入った考察があり、藤村は「新生」によって救われたのでなく、これによって「藤村の文壇的地位は一層の飛躍を遂げたのである、」としている。
いずれにしてもさまざまな誤解を生んだについては、「新生」の意図の曖昧と作品化の未熟さが原因しているようであるが、作者が「ただ一筋につながる」思いで芸術に血路を見出している点については疑う余地がなかろう。藤村の場合それは性格的であり運命的でもあって、老獪はつけたりに過ぎない。
三
「新生」は精神的な泥濘からの脱却と愛欲上の過失の償いとを根本問題としてる。とくに後者が正面の中心問題とされているから、この点につき改めて考えて見よう。
作者は岸本のやった過失のプロセスについてはまともに描いていない。「節子は極く小さな声で、彼女が母になったことを岸本に告げた、」と簡単に結果をしるしているにすぎないが、これが岸本の生活に「嵐」をまきおこすことになる。節子はまだ愛したことも愛されたこともないようなうぶな娘であり、間違をおこしたあとで岸本にたいする愛着を強めていった。岸本も節子に愛を感じた結果こうした間違をひきおこしたのではなく、やはり後になって節子の愛情にひかれることになるので、肉欲における過失が縁になって相互に精神的に結ばれることになる。藤村の「新生」にえがかれた愛の特色は、かように肉欲から出発して次第に霊性に高められてゆくところにある。亀井勝一郎氏の「島崎藤村」にも、作者の家に流れる宿命的な血の意義をとき、また詩集の作者と読者としての愛情が結びつきの契機をなしているようにも説かれているが、藤村と姪の女性との問題としてはこうした事情が考えられるにしても、「新生」における岸本と節子との結びつきの問題としてはまともにとりあげられていない。宿命的な血の力については、不可解な結合の要因としてまともにとりあげたならば、岸本の苦悩をも一層意義深いものにし、作品としての魅力も加わったであろうが、「新生」では簡単にふれられているにすぎない。「オイディプス」など参考されていたら、より効果をあげえたのではなかろうか。
「家」の中に、三吉が妻の留守中姪のお俊と散歩にでかけたところが、「不思議な力は不円姪の手を執らせた。それを彼は奈何することも出来なかった、」とある條りはよくひかれるが、「新生」のモデルの場合も同様な経路らしい。「不思議な力」は藤村の場合単なる本能や衝動以上の意味をもっている。これは「夜明け前」になってはっきりする。
ダンテのベトリーチェにたいする関係は純愛に終始する。プラトニックな愛にはじまり、基督教流の霊的な愛に高められている。少くとも作品化された限りにおいてはそうである。岸本は勝子との恋でダンテ流の純愛を経験した。もっとも勝子には許嫁者があって、その点からいうとウェルテに似ているが、岸本はウェルテのように自殺せず、逆に相手のほうが自殺に近いような最後をとげる。
のち妻園子を通して世俗的な肉欲生活もくまなく味いつくしたとあるが、妻の死後四人の遺子をかかえての疲労困憊のうちに危機に見舞われたのである。相手の女性は叔姪の間にある近親の若い娘であり、悲劇的な結末は見えすいていた。その点光源氏と藤壺の関係に似た点があるが、源氏の場合ははげしい思慕の情を前提として、美感が不徳をおおうといった趣をもつのにたいして、岸本はただ肉欲の過失に陥っただけである。妻が死んでから女性嫌いになり、独身生活をつづけたはてのあっけない間違であって、「彼のように女性を厭ながら、彼のように女性を求めずには居られなかったとは、」と後になって岸本自ら嘆いている。こうした矛盾が生んだいたずらであり、いたずらというにはあまりに惨ましいものであった。岸本は苦悩のあまりパリに旅立つが、帰国後またあっけなく節子とよりをもどす。表面からみれば「源氏物語」や近松西鶴等の戯作でくりかえされてきた、まことに日本的な過失である。おそろしく自然な超倫理的な世界だ。ただ相手は特殊な愛も感じていない近親であって、悲劇にもならぬようなみじめさをもつ。藤村は嵐と呼んでいるが、嵐と呼んでも美しすぎる。
岸本がただ老獪な人間ならば、兄の言う通り事を秘密に葬ったであろう。しかし持前の愚直な誠実さからぬきさしならぬ反省に追いやられ、(自然主義思想のはたらきかけもあったが)、ついに告白にまでかりたてられる。そこには相手の不幸も己のテゴイズムもかえりみ得ないような凶暴な力の動きがみえる。「果して新生はあったであろうか」、という芥川の反問は至極当然といえよう。この点からすれば、「新生」の最後は当然悲劇的でなければならない。少くとも悲劇的な新生でなければならない。ところが二人の愛が霊的に高められることによって、すべてが救われたことになっている。岸本は後世から祝福されたアベラールとエロイーズの愛を引合いにだしたりしているが、そうした祝福は岸本と節子にたいして期すべくもなかった。まして告白によって救わるべき問題ではなかった。光源氏は秘密をおしかくしつつ煩悶をつづける。「暗夜行路」の時任謙作の出生の秘密故に暗夜行路を辿る。常識からすれば岸本の運命は当然悲劇的に終らねばならないのに、告白によって運命は逆転し、新生をむかえることになっている。芥川の反問は肺腑をついた観があるが、考えてみれば自明にすぎ、作品論としても素朴すぎる。ただ「新生」の叙述のままに藤村を買いかぶった俗見にたいする抗議として意味をもつものであり、また前記のように芸術にたいする徹底的な懐疑という特別な動機に裏づけられているのである。一面からみると、芥川(註三)の言葉も大向う相手の警句で、以来藤村の老獪が盲信され、新しい俗見をうむに至ったが、芥川は藤村の老獪を指摘したのではなく、「新生」の主人公を「老獪な偽善者」と呼んでいるにすぎない。
岸本の過失は日本的であったが、新生へのあがきには日本ばなれのしたしつこさがみえる。自然の経路として情死にでも導かれざるを得ないような羽目に陥りながら、とにもかくにも新生に到達した。作者である藤村も危機をきりぬけて、「夜明け前」のごとき記念碑的な大作を残した。有島も芥川も純真にゴルゴンの石につまずき倒れたが、ともかくも作家として大成をとげた。藤村の不屈な努力は警句で葬り去るにはあまりにも貴重な意義をもっている。近来の「新生」論には藤村が自殺でもしなければ満足しそうもないような口吻をみせるのが多いが、有島や芥川の挫折を惜しむならば、高所から考え直す必要がありはしないか。(主人公の岸本についてならば別である。)
亀井氏は藤村が神の一歩手前まで来ていながら、「変貌のための跳躍」を拒否しているとし、「新生」第二部の欠陥の根本原因となったと説いているのが、神をもちだしたところで欠陥は救い得なかったであろう。が懺悔や告白は元来世間や人間を相手とすべきではなく、「新生」の岸本の態度には誤算があるが、これはひっきょう藤村に自然主義的芸術観が至極となっていたからであろう。亀井氏は「新生」に悪魔の欠けていることをも指摘しているが、そうした二元性の欠如が「新生」を単調にしていることはたしかである。神や悪魔を引合いにだして主人公をからかわせ、悲劇的な結末に導いたならば、作品としてもっと面白くなったかもしれない。要するに虚構性が欠けているのである。しかし藤村としては、そうした虚構性をともなった作品ではあきたらず、どこまでも世間に向って告白しようとしている。老獪偽善とは縁遠い愚直な衝動からであって、この点が外部から単純に理解しがたいので、かえって老獪や偽善と結びついたエゴイズムのみが問題とされているようである。さらに前記のような理想主義的要素をおりこもうとしたところから、一層誤解が加わったのであろう。
藤村の「新生」は岸本と節子が近親関係にある点を除くと、トルストイの「復活」と構想がよく似ている。(もっとも「復活」は純愛から出発する。)しかもこの特殊条件が二つの作品に根本的な相違をもたらし、「新生」はどこまでも「復活」にみられるような明るさをもつことができない。救われたように見えながら、暗い運命にからまれている。ああした特殊な事情による自伝的な作品としてはやむをえない欠陥であろう。それを避けるためには自然主義的な芸術観からの完全な離脱が必要であった。理想主義的な方向を目指しながら、自然主義的な至極にとらわれでいること、それと関連して虚構性の貧しさ、が災いをなしているのである。
註三。漱石の「硝子戸の中」に、「聖オーガスチンの懺悔、ルソーの懺悔、オビアムイーターの懺悔ーそしてそれをいくら辿っていても本当の事実は人間の力で叙述出来る筈がないと誰かが言った事がある。まして私の書いたものは懺悔ではない云々」とあるのをみると、芥川の新見というのではなかったのであろう。
(附記)藤村は昭和十三年自選の定本「藤村文庫」に「新生」を収めるに当り、「寝覚」と題を改め、下巻を全部削っている。そして本来なら更に一部を書き加え三部作として完結すべきものだといったような意見を述べた。「新生」は作者自らもてあました作品らしい。』