正宗白鳥の「塵埃」
正宗白鳥は、作家としてスタートする前は新聞社で働いていました。その時の経験が生かされた小説として「塵埃」を書いています。生き生きとした編集局の描写と主人公の冷静な態度が印象的なこの小説は、収載された「白鳥傑作集」の冒頭において自身がこの「塵埃」を書いた十八歳当時から根本は殆ど変わっていないと素直に述懐しています。
以下、『』内の文章は1921年に新潮社から発売された「白鳥傑作集」一巻から現代語訳をした上で引用しました。正宗白鳥の研究の一助になれば幸いです。
『 「原稿出切」と二面の編集者は叫んで、両手を伸ばし息を吐き、ゆらりゆらりと、ストーブの側へ寄った。炎々たる火焰の悪どく暑くるしいストーブを煙で取り巻いて、破れ椅子に坐しているもの、外套のままで立っているもの、議会の問題や情夫殺しの消息、明日の雑報の注釈説明批評で賑わっている。
「築島君その女は美人かね」編集の岸上が一座の中に割り込んで問いを発した。
「実際いい女ですよ、青ざめて沈んでる所は可憐です。僕はあんな女になら殺されても遺憾なしですね、裁判官たるもの宜しく刑一等を減ずべしだ」三面の外勤築島は、煤けた顔に愛嬌笑いをして表情的に言う。
「そんなのろい男は、殺されたくても、女の方で御免蒙るさ」
「先ず何であろうと、僕は天命を保って、十分に面白い日を送りたい、いくら色男になっても、出刃包丁でずばりとやられちゃ駄目だからね」硬派の大澤が立ちかかった。
「安心し給え、見渡したところ、一座なかば心配のありそうな人はないから、まあお互いに銀座のほこりを毎日吸って、ほこりの中の黴菌に生血が吸われっちまうまで生きてるんさ、つまり天寿を保つ者はなし崩しに枯れて行くんだよ、しかしね、稚(わか)い木が風に折られてるのを見ると、多少風情があるが、蟲に喰われた枯木を見ると浅ましくなる、こんな枯木的人間が到る処にあるじゃないか」
「岸上流の哲学か」と大澤は時計を見て、縁の剥げた山高を被り、「どりゃ枯木伯大枝の駄法螺を聞きに行こうか」と、戸口へ行った。
「枯木でも風が当りゃ鳴るんだ、大枝なんか、つまり悲鳴を揚げてるんさ」
一座はそれぞれ自分の席へ帰って、編集局は暫く静かになった。予は北側の机で、窓硝子の壊れから吹き込む鋭い風に、背筋を揉まれながら、小野道吉君と差し向かいで、校正に従事して局外から編集の光景を窺っている。南米遠征の企ての破れてより、何か有望の事業に取りかかる迄の糊口のためにと、ある人の周旋でこの社の校正掛りとなったのだが、何時の間にやら、もう三ヶ月になった。こんな下らない仕事を男子が勤めていて溜るものかと思いながら、詮方のなさの一日逃れで、撼天動地(かんてんどうち)の抱負を胸裡に潜め、鉄亜鈴(てつあれい)で鍛えた手に禿筆を握って、死灰の文字をほじくっているのだ。で、校正刷りの堆積が一先ず片付くと、予は机に肘を突いて、外(よそ)ながら外交汽車の壮語沢山の太平楽に耳を傾け、あの人達は、毎日内閣や議会に出入りし、天下の名士と席を同じゅうして語り、酒汲みかわして懇談する身でありながら、何故立身栄達の道を開かず、ストーブで炙った食パンを喰って、髭髪徒に白線を加えるに至ったのであろう、明けて二十六となるべき予は、社中最も年少の組であって、今こそ破れ布子で髪蓬々としているが、明年を思い明後年を考えれば、想像の糸は己を中心に、幾百の豊かなる絵画や小説を織り出す。艶麗な景も浮かべば、勇壮な潮も湧く、今二三日で四十歳になる、五十歳になると言いながら、腰弁(こしべん)の身を哀れとも感ぜず、無駄話に笑い興じている彼の人々の気が知れぬ。予はもしも四十位幾歳まで、この籐椅子の網が尻ですり切れるまで、この渦巻く編集局の塵埃吸わねばならぬと、天命の定まっているとすれば、未練はない、今日此処で舌を噛んで死んで見せる、食パンの味わいは一度で沢山だ、三百六十五日昼の弁当にして味わう必要はあるまい、自分の一生が食パンだとすれば、二三年経験すれば足っている、何も五十迄も六十迄も食パン生涯を続けるにも及ぶまい。』
撼天動地(かんてんどうち)・・・目を見張るほど活動が立派なこと。
腰弁(こしべん)・・・腰弁当の略。腰に弁当をさげて出かけること。または、地位の低い勤め人や安サラリーマンのこと。
『 かく思いながら小野君を見ると、小野君は雁首のへこんだ真鍮の煙管で臭い煙草を吸いながら、社内の騒ぎの耳に入らぬように、ぼんやり窓を眺めている。まだ染々(しみじみ)話しもせぬが、頭が胡麻塩になるまで三十幾年この社に勤労しているので、この社創立以来社で育ち社で老いた三人の一人であるそうだ。
「どうです、小野さん、今夜はかねての約束を実行して、何処かで一杯やろうじゃありませんか」
と予は小声で言った。今日は月給日なれば、どうせ一杯やらずにはいられぬので、一人よりは二人の方が興が多いから、仲間に引き込もうとした。小野君はにやりにやり笑って、暫く考えていたが、「そうですねえ、一度だけお突合いしましょうか、何処か安値な処で」と、ようやく同意らしい返事をする。
やがて編集員は一人減り二人減り、六時になると、夜勤の津崎が懐手で、のそりのそりと入って来て、肥満な呑気な顔を電気の光にさらし、けたたましく咳をして「畜生、風を引きそうだぞ」と言いながら、袂から瓶詰めを出して、「今夜は一人で忘年会だ、給仕、鯣(するめ)でも買って来てくれ」
「又電報を間違えて睨まれんようにし給え」と、岸上は帰り仕度で二版の大刷を見ながら言った。
「なあに勤める所はきっと勤めるさ、これでもね、雪が降ろうが、風が吹こうが、子の刻までは関所を預かって、勤労無二の僕だからこそ、忝(かたじけ)なくも年末賞与大枚十円を頂戴したんじゃないか、為すべき者は忠義だね」と笑いながらいったが、急に悄気て、「しかしね、岸上君、今年は僕もつくづく歳晩の感を起したよ」
「いや僕は真面目に感じたのだ、もう夜勤も二年だが、得た所は、体量が一貫目ばかり衰えて近眼が数度を加えた位だ。実は今日昼寝から起きて考えたね、十両の恩賜は有り難いが、今年になって風邪に罹ること七度、下痢をすること三度だよ、何のことはない、肉を殺ぎ血を絞った結果だと思えば、あの僅かな金に恨みがある」
「でも君は肥ってるから、自分で自分の身を食っても食い出がすらあ、ははは」岸上は靴の音高く階子段を駈け下った。津崎は今日は珍しく不平を並べたい風で、校正の席へ来て、皺くちゃの大刷をのばし、目を顰(しか)めて点検する小野君の側へ立ち、
「小野さん、もう四五日しかありませんね」
「そうですねえ、又一つ歳を取りますよ」
「小野さんは月日を超脱してるから羨ましい、僕も去年までは自分の歳を忘れていたんだが、この暮れは妙に気になる」
津崎という男、常に給仕を相手に、シャツ一枚になって相撲を取り、あるいは冷酒を呻って都々逸を唄ったりするので、社中の第一の気楽者と思っていたのに、今夜は魔がさしたように哀れっぽいことを言うのを、予は不思議がっていた。
「なあに歳を取るのが気になるうちが結構でさあ」
小野君は気のない調子であったが、役目を済ますと、予を促して、早速社を退(ひ)いて、銀座の賑やかな通りへ出た。星は氷のように燦めいて、風はなくとも、皮膚の隙間に触れる空気は針のようだが、街上は暮れの忙しさを集めて活気に満ちている。で、小野君が垢染みた襟巻きに首を埋めて、元気なくしょんぼりと立っているのは、如何にもみすぼらしく、場所違いの気味がする。予は福新漬けを買って、「何処へ行こう」と聞いたが、小野君は頻りに「安値の所」を繰り返すのみである。予は京橋付近で飲食したことはないので、牛屋へでも一寸気後れがして入りかねる。いっそお馴染みの本郷にしようと、電車に乗った。予は菊坂の豆腐屋の二階を借りて自炊して、電車で通っているが、小野君は小石川諏訪町から徒歩で京橋へ行くので、嵐か大雪ででもなければ嘗てこの文明の恩沢(おんたく)に浴したことはないのである。』
恩沢(おんたく)・・・恵みのこと、利益や幸いなどをもたらすこと。
『 本郷三丁目の停留場から一丁ばかりして、色の褪せた紺暖簾に「蛇の目鮨」と白く染め出した家がある。狭くはあり、綺麗でもないが、予が自炊の面倒な時に駆け込む、筋向かいの縄暖簾に比べれば、畳に座るだけでも勝っている。殊に此処のみは、滅多に学生が犯さないのが有り難い。本郷一面西洋料理といい、ビヤホールといい、大学や高等学校の学生が、月末に郵便局から引き出した金で、贅をやる所のみだが、此処は暖簾の汚れてるお陰か、お客は大抵予等と同類で、塵埃の中から捜し出した金を使うのだ。
予は火鉢を真ん中に、小野君と差し向かいで座って、独断で、かき卵、ヌタ、甘煮などを命じた。小野君は乾(ひ)からびた手の甲を火鉢の上でこすっているが、食パン生涯の結果か、額に汁気がなく、目はどんよりして、何処を見ているのか分らない。
「僕にはまだ分りませんが、新聞の仕事も思った程いいものでもありませんね」と、予は黙っているのも気が詰まるから、強いて話しの緒を開いた。
「そうですとも、何をやってもねえ」と、小野君も言訳丈の返事をして、気乗りがしない。又二人は黙っている。外は車のかけ声、下駄の音、威勢よく叫ぶ声、非常の騒ぎであるが、小野君は社に居ると同じく、四面の騒ぎは耳に入らぬようで、煙草すら吸わない。神経は無くなったのであろうか感覚は消滅したのであろうか。これではパンとビフテキと、酒と茶との区別もないんであろう、二十年も座らされたきり、一つ所にじっとしているのも無理はない。生まれて以来、席は厭だ、絹蒲団に座りたいと、最初にも思ったことはないと見える。
「でも貴方はよく長く社に辛抱していますね」
「へへへへ、まあ仕方がありませんのさ」
女中が霜膨れの手で、膳を突きつけるように並べて、銚子からは湯気が立っている。予が満々とついだのを、小野君は一口に飲み干したが、流石にこれまで無神経ではないと見え、急に人相が変わって来る。二杯三杯と、予もいい気持ちになったが、小野君は木彫りの僕に魂の入ったように、筋肉がゆるやかに動き出した。
「貴方は随分いけるようですね」
「まあ好きな方ですよ、矢張り酒という奴あ甘いもんだ」と、余瀝(よれき)を舐めて、畳の上に置いた杯を眺め、背を丸くしてぐったりしている。
「そりゃ結構だ、私なぞは酒がそんなに甘いっていう訳じゃないんだが、独り身で、外に楽もないから、仕方なしに呑むんです」
「しかし仕方なしにでも呑める方が、呑みたくても呑めんよりゃ結構でさあ、はははは、いや全く貴方が羨ましい」
「僕が羨ましいって言うんですか」
「私は悪い癖があってね、酒を呑むと、若い人が羨ましくなったり、自分の身が哀れっぽくなって仕様がないんですよ。平生は何の気なしに聞いたり見たりしたことが、急にむらむらと思い出されるんでしてな」
「そうですか、じゃ一つその思い出した所を承りたいもんだ」
予はこの木像が何を思ってるかと、一方ならず面白くなって、矢鱈にお酌をした。
「なあに私達の思ってることはね、皆下らないことでさあ、よく原稿にある文句だが、碌々として老いるっていうのは先ず私達の事でしょう、一体碌々という文字は、先生方はどんな意味で遣ってるんか知りませんがね、私は「碌々」の中ニハいろんなつらい思いが打込まれてるんだと独り定めにしてるんです、碌々として老いるって、決して呑気にぼんやりして老いるんじゃない」と、ぐたりと垂れてる首を振ったが、急に反り身になって、「ははははは、まあ人間は若いうちうち、さ、差し上げましょう」
と、声も艶を持って、今までの小野君の喉から出たとは思えない。
「貴方は馬鹿に長くお勤めなすったんだから、新聞生活はよく御存じでしょう、これで精勤すれば有望なものですかね」
「さあ、それですよ、全体世の中に職務を忠実に尽くしてりゃ、それで自然に立身するっていうことはあるんですかね」』
余瀝(よれき)・・・器に残ったお酒や汁などのしずく。
『「無論あるでしょう、又そうなくちゃならん訳だ、僕はまだ世間の経験に乏しいけれど、よく雑誌なんかの成功談に出てるじゃありませんか」
「ははは、雑誌や新聞に虚言(うそ)がないものならばねえ、いや活字の誤植よりゃ、書く人が腹の中の誤植を正す方がいいんさ」
「何しろ校正掛けは張り合いのない仕事だ、僕も早くどうかしなくちゃ」
「さ、私も昔は度々そう思いましたがね、思ってる間に、ずんずん月日は立ってしまう、しかし、まだどうかしようと思ってる間は頼もしいが、私達はどうかなるだろうで日を送るんですよ」
「だがその方が気楽でいいかも知れん」
「まあね、始めの間は波の中で。ぼちゃぼちゃやってまさあ、それが次第に大きな波が幾度も幾度も押しかぶせて来りゃ、どうせ叶わないから勝手にしろと、流され放題に目を瞑るようになります、社でも、随分波が立つんですが、私達のように抜き手の切れない者は、その度にぎょっとして、手足が萎(いじ)けて了う。萎けた揚句が碌々として老いるんですよ」
くぼんだ目縁(まぶち)がほんのりと紅くなって、眠っていた目も燦めく。
それから暫くは無言で、肴をつつき杯を干していた。紺暖簾が寒い風にゆらめいては、隙間から人影が絶えずちらつく。室内には自分等の外に、片隅に外套を着て鳥打ち帽を被ったまま、風呂敷包みを側に置いて、忙しそうに飯を食ってる男があったが、箸を置くと、直ぐ勘定を済ませて、目をぎょろつかせ、あたふたと出て行った。
予は勢いのよい血汐が全身に漲って圧へ切れぬようで、所もかまわず、「王郎酒酣」を歌う。小野君はくずれかかった膝に両手をくの字なりに突いて、謡曲(うたい)を低い声で謡う。節まわしが玄人ぶってる。
「貴方は謡曲を稽古したんですか」と、予は驚いた。
「四五年前に一寸やったことがありますよ」
「綽々として余裕ありですね、貴方にそんな風流の嗜みがあろうとは想像外だ」
「なあに風流だなんて、そんな気楽な量見で始めたんじゃないんですよ、私にゃね、津崎君んおように大ぴらで不平を言う元気はなし、そうかって、外の人のいやなことは自分にもいやだし、どうかして鬱憤を晴らして、苦労を忘れようと思ってね、会計の竹山君の後へ食い付いて、素人謡曲の組へ入ったんですよ、長屋で謡曲なんて、佐野常世の成れの果てか、一寸洒落てまさあね、はははは」
「じゃあお能も見にお出ででしょうね」
「どう致して、お能拝見どころの騒ぎですか、まあ聞いて下さい、」と小野君は居住まいを直して、「素人組の連中は、今月は梅若、来月は宝生と、見て廻って色んな批評があります、私はそんな真似は出来ないから、まあ『能楽』っていう雑誌を社から貰って、それを読むのがせめてもの慰めだったんでさあ、ところがその雑誌さえ社に没収されることになって、私の手には落ちぬようになったんです。それが社の規則だから仕方がない、社の方じゃ葛谷へ売っても一銭か二銭だろうが、私に取っちゃ、大変な楽で、月々心待ちにしたんですがね、朝(あした)に一城を奪われ、夕(ゆうべ)に一国を奪わる、拙(まず)い声だが、弱い者はますます権力を剥がれてしまうんだ。そこで私あ、すっかり断念しました、謡曲も止めて、夕食でも済むと茶を呑んで、ころりと横になって、天井の蜘蛛の巣でも見てるんです」
平生表情に欠けてる小野君の顔も、憂色を帯びて来る。
「だって雑誌一冊位、訳を言えばくれんこともないでしょう」
「いや、それを主張する丈の元気があればいいんですがね。何時かも、物価は高くなる、子供は殖える、困り切った揚句、五重の塔から飛び降りる気になって増給を願い出たんです、すると今ので不服ならお止めになっても差し支えはないと厳命が下るんです、まるで雷に打たれた気でさあ、つまり私のような無能な者は、社でも必要でなければ、世間にだって不用な者だ。生きてる丈が有り難いお慈悲だと思い返してるんですよ」
へへへへへ、と凄く笑って、「や、斯うしてちゃいられない。子供に春著一枚も造ってやらないで、親爺が酒を飲んでもいられまい、さ、帰りましょう」と、よろよろと立ちかかった。
予は勘定を引き受けて、外へ出た。小野君は「済みませんなあ」と数十度も言って予に分かれてとぼとぼと小石川の方へ行く。予は暫くその後ろ姿を見送ったが、小野君は荷車にぶっつかって、頻りに詫びをしていた。
その翌日、出社すると、小野君は元の石地蔵で、何処を風が吹いてるかと、冷然としている。築島や大澤は相変わらず、パンを囓って気焔を吐いている。予もまた一日を校正に過ごさねばならぬ。己には将来があると、心で慰めながら。』
梅若(うめわか)・・・梅若流のこと。能の流派の一つ。
宝生(ほうしょう)・・・宝生流のこと。能の流派の一つ。
春著(はるぎ)・・・春着とも書く。晴れ着のことで、お正月に着る服のこと。または、春に着る衣服をさす。