ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

萩原朔太郎が語る谷崎潤一郎と正宗白鳥2

 昭和15年に河出書房より出版された萩原朔太郎の「阿帯」なる随筆集には、「思想人としての谷崎潤一郎正宗白鳥」と題された随筆が掲載されています。内容としては、今回は谷崎潤一郎氏に加え正宗白鳥氏について萩原朔太郎が熱く解説をしております!
ここでは上記の随筆を現代語訳した上、下記の『』内に引用しております。萩原朔太郎谷崎潤一郎正宗白鳥の研究の一助になれば幸いです。

 
『谷崎氏の小説は、実に全身全感、真に身を以て書いている「体当たり」の文学だが、そのエッセイもまた同じように「体当たり」で、どうにもならない切実の実感が、思想する呼吸の一々に息づいている。「文章読本」のごとき、比較的組織立った論文風のものであっても、読者はそこから抽象の理屈やロジックを感じないで、作者その人の直接に体験している「人生」を痛感する。況んや「陰影礼讃」のようなものになると、あまりに切実なる作者の悲願が、綿々として泣訴される嘆きを感じ、悲しくも美しい抒情をよむ思いがする。一体に谷崎氏の最近の文学は、小説でもエッセイでも、すべて本質上の「抒情詩」という感じがする。もっと詳しく言えば、盲人の弾く地唄の三味線が旋律する、あの寂しくも艶めかしい、しかもどうにもならない情痴無常のペーソスを歌ったところの、世にも悲しい抒情詩である。人は谷崎氏の文章を礼讃するが、私は氏を名文家とも美文家とも思っていない。ただ氏の文章は、いつもその「心の限り」を体当たりに叙べてるのである。そしてそれ故に、いかなる美文や名文にも増して、読者の心を強く打つのである。かつて昔、神戸で谷崎氏と逢った時、氏は私に向かって、当時私がまだ読んでいなかったところの、二人の文学者を紹介し、日本の最も偉大な詩人と、最も本格的な小説家だと言った。その一人の詩人は岡倉天心で、一人の小説家は中里介山であった。前者は英語のエッセイだから別として、後者の「大菩薩峠」は、どう読んでみても名文ではなく、むしろ悪文の範疇に属するだろう。しかも谷崎氏がそれを推挙する所に、氏の文学観の根拠するものが窺われる。そしてこの点が、常に体当たりの裸を嫌って、文章の粋美に凝った名文家の芥川龍之介と、対照的な関係になってるのである。
 正宗白鳥氏は、漸くこの最近に至って、初めて真の善き理解者を得、正当の文壇的功績を認められて来た、と言っても好い程の作家である。実際氏の文学事業は、長い間一般によく理解されていなかった。その原因の主なるものは、氏が西洋流の知性人であることによって、あまり日本人的な日本の文壇から、批判の圏外に置き去りにされたのである。自然主義という名で呼ばれたイズムの中には、本能主義や曝露主義や写生主義やの、色々な矛盾した複雑なものを含んでいるが、本来浪漫主義の反動として興ったこの文学運土うが、感性よりも知性を重んじ、現実に即して人生を観察しながら、不退転の懐疑を続けるという一義をモットーとする限り、正宗白鳥氏のごときは、真に自然主義の本道を行った正統派の人と言うべきだろう。他の多くの輸入文学と同じく自然主義の文学運動も、日本へ渡来してから全く本来の良心(真実への探求熱意)を失い日常茶飯の身辺記事を漫談的に書くタダゴト文学と化してしまった中に、正宗氏一人がその正統の道を歩み、本来の良心を失わずにいたということは、却って日本の文壇において、氏を異邦人的な孤独者にした所以であった。
 こうした点において、正宗氏もまた、谷崎氏と同じく、体質的に西洋人臭い作家である。ただ両者の大いに異なる所は、谷崎氏が浪漫派の抒情詩人であるに反して、正宗氏はむしろ抒情詩を否定するところの、懐疑的なニヒリストであるという点である。しかしニヒリストの反面は常に必ずロマンチストである故に、正宗氏の場合は、むしろ抒情詩やロマンチシズムやが、生活の内部に止揚されてるという方が当たっている。したがって正宗氏の文学風貌には、谷崎氏のような派手やかさがなく常に地味にくすんでいて、燃え立つような情火が見えない。しかしそのくすぶってる埋火の中には、不断に熱して醒めないところの、綿々たる人生への悲願と情熱があり、真実への恒久な浪漫的イデーがある。およそ日本の文学者中で、正宗氏のごとく真に人生を懐疑し、深刻に噛み続けた人はないであろう。こうした点において、氏はジイドやトルストイやの外国文学者と全くその運命を一にしている。

 私は近頃、正宗氏の随筆を最も多くの興味を以て愛読している。むしろ私は、小説以上に氏の随筆を愛読している。むしろ私は、小説以上に氏の随筆を愛読しているのである。一体私は日本の文壇で言われる「随筆」というものを好まない。日本で随筆と言われるものは、たいていつまらぬ身辺雑記で、その上乗の出来と言われる物も、落語の名人圓朝の人情話を、長火鉢の前で聞くようなものである。(もっとも日本では、小説の名作と言われるものも、たいてい一種の随筆であり、その玄人受けのする面白味とは、所詮「話術のうまみ」に過ぎない。)ところで正宗氏の随筆だけは、こうした範疇から脱したもので、真に思想する精神とヒューマニティを持って書かれた厳粛なる「良心の告白」である。そうした氏の随筆は、谷崎氏のようにリリックではないけれども、冷静な知性によって仮借なく現実を凝視し、良心のあらゆる隅々を反省させる。そこには常に熾烈な主観が燃焼して、内攻している無言の「叫び」が聴こえている。谷崎氏の印象は「悲しい人」という評に尽きるが、正宗氏の印象は「痛ましい人」という言葉で尽きる。氏は実において、過渡期の十字架を負った受難者の一人であり、新日本文化の矛盾と闘争に正面して、勇敢に負傷した犠牲者である。
 正宗氏のような作家が、今日の日本に生まれたことは、氏のために非常に不幸な宿命だった。氏がもし仏蘭西や独逸に生まれたなら、そうした受難者になることもなく、結論のない懐疑のために自ら傷つくような悲劇もなかった。仏蘭西や独逸のごとく、文化がその伝統の上に正しく秩序している国々では、文学もっと楽しく余裕あるものになってるので、すべての文学者等が、専念にその創作の中で芸術の美的完成を楽しみ得る。然るに今日の日本では、むしろ文学する以前に、現実の切実な問題や矛盾が感じられ、純粋な芸術的美意識を著しく妨げる。今日の日本において文壇的に多くの仕事をするためには、そうした知性的の反省や感受性から、全く無関心になってる外はない。そしてまた実際に、そうした非思想的知性人が、多くの犠牲を強いられるのは当然である。氏がもし外国に生まれたならば、もっと楽しくもっと多くの小説を文学することも出来たろうし、おそらくまたその文壇的声望も、今日あるよりは数倍も高くなっていたにちがいない。西洋では知性人であることによって楽しく、且つ文壇的に幸福であることが、日本でその逆になってる程、文化の痛ましい現実相はない。永井荷風氏や、島崎藤村氏、それから佐藤春夫氏等も、また真に「思想する精神」を持った文学者である。しかしこれらの人々については、他日別の機会に語ることにしようと思う。』


 いかがでしたでしょうか?萩原朔太郎の西洋的な、あまりにも西洋的なといった具合の独特の理論の展開が詩人らしいもののように感じられたのでは無いでしょうか?
 ところで、萩原朔太郎はこの随筆集の中で、谷崎潤一郎正宗白鳥を西洋的だと評していますが、逆に東洋的だと評している文豪がいます。その方は、何と武者小路実篤氏です。以下、「読書随感」より「武者小路実篤著「楠木正成」」を下記の『』内に引用しております。


武者小路実篤氏は、昔から終始一貫した主義を持し、且つこれを生活行動に実践して、あくまで人生の真意義を求道して来たところの、真の人格者的ヒューマニストである。
 氏は昔からトルストイに私淑しており、自分でもその影響を受けたといわれてるが、僕の見るところによると、氏の本質は純粋の東洋人、というよりも純粋の日本人であって、トルストイ的執拗の霊肉相剋や、キリスト教偏執のモノマニアは、氏の文学にも性格にも殆どない。トルストイよりも、氏はむしろ孔子にに近く、孔子よりもむしろ二宮尊徳に近いのである。
 氏の数ある著書の中で、今度の「楠木正成」は特別に面白く、最近ますます円熟した氏の風貌を、さながら躍如として描出している。この書に描かれた楠木正成は、一面子供のように無邪気で、天真爛漫の楽天家でありながら、一面仏教の無常観や宿命観を支持して、しばしば人生をうら悲しげに、雲水の心で諦観している。しかもその悲観の極地にすら、自己の知己に報いる謝恩の念と、皇室に対する一死忠義の信念とは、烈々として熱火のように燃えてるのである。そしてこの楠木正成における全部のもの――無邪気な明朗さや、仏教思潮の影響や、七生報恩の忠義心や――は、実にそれら自ら日本人の実質する民族性に外ならない。すなわち武者小路実篤氏はこの書によって、日本人の民衆性をシンボライズするとともに、併せてまた生粋の大和民族であり、日本の古い貴族の一血統であるところの、著者自身の人格的全貌を描いているのである。』