ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

小林秀雄の「Xへの手紙」名言集

小林秀雄が発表した「Xへの手紙」という小説は、実は中原中也宛に書かれたものではないかと推測されている作品です。ここでは、「Xへの手紙」の中から印象的な文章をご紹介しております。

以下、下記の『』内の文章は全て新潮社「小林秀雄全作品4 Xへの手紙」からの引用です。小林秀雄の研究の一助になれば幸いです。

 

・『この世の真実を陥穽(かんせい)を構えて捕らえようとする習慣が身についてこの方、この世はいずれしみったれた歌しか歌わなかった筈だったが、その歌はいつも俺には見知らぬ甘い欲情を持ったものの様に聞きえた。で、俺は後悔するのがいつも人より遅かった。』

 

陥穽(かんせい)・・・落とし穴のこと。

 

・『この世に生きるとは雑沓(ざっとう)を掻(か)き分ける様なものだ、而(しか)も俺を後から押すものは赤の他人であった。』

 

・『悧巧(りこう)そうな顔をしたすべての意見が俺の気に入らない。誤解にしろ正解にしろ同じように俺を苛立てる。同じように無意味だからだ。』

 

・『誠実という言葉ばかりではない、愛だとか、正義だとか、凡(およ)そ発音する度に奇態な音をたてたがる種類の言葉を、なんの羞恥(しゅうち)もなく使う人々を、俺は今も猶(なお)理解しない。』

 

・『言うまでもなく俺は自殺のまわりをうろついていた。この様な世紀に生れ、夢みる事の速(すみや)かな若年期に、一っぺんも自殺をはかった事のない様な人は、余程幸福な月日の下に生れた人じゃないかと俺は思う。』

 

・『俺は今も猶(なお)絶望に襲われた時、行手に自殺という言葉が現れるのを見る、そしてこの言葉が既に気恥しい晴着を纏(まと)っている事を確め、一種憂鬱な感動を覚える。そういう時だ、俺が誰もいい誰かの腕が、誰かの一種の眼差しが欲しいとほんとうに思い始めるのは。』

 

・『俺のして来た経験の語り難い部分だけが、今の俺の肉体の何処かで生きている、そう思っただけで心は一杯になって了うのだ。』

 

・『女は俺の成熟する場所だった。書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうとした俺の小癪(こしゃく)な夢を一挙に破ってくれた。と言っても何も人よりましな恋愛をしたとは思っていない。何も彼も尋常な事をやって来た。』

 

・『女は俺にただ男でいろと要求する、俺はこの要求にどきんとする。』

 

・『俺にはどうしても男というものは元来夢想家に出来上っている様な気がする。』

 

・『人は愛も幸福も、いや嫌悪すら不幸すら自分独りで所有する事は出来ない。みんな相手と半分ずつ分け合う食べ物だ。その限り俺達はこれらのものをどれも判然とは知っていない。』

 

・『俺が生きる為に必要なものはもう俺自身ではない、欲しいものはただ俺が俺自身を見失わない様に俺に話しかけてくれる人間と、俺の為に多少は生きてくれる人間だ。』

 

・『君くらい他人から教わらず他人にも教えない心をもった人も珍らしい。そういう君が自分でもよく知らない君の天才が俺をうっとりさせる。君の心のこの部分が、その他の部分とうまく調和しなくなっている時、特に君は美しい。決して武装したことのない君の心は、どんな細かな理論の網目も平気でくぐりぬける程柔軟だが、又どんな思い掛けるない冗談にも傷つかない程堅い。』

 

・『俺は別に君を尊敬してはいない、君が好きだというだけで俺にはもう充分に複雑である。言わばそれは俺自身に対する苦痛だが、又快い戦なのだ。』

 

・『ではさよなら。君が旅から帰る日に第一番に溜りで俺と面会しよう。俺は早くから行って君を待っている。だが俺が相変らず約束をうまく守れない男でいる事を忘れてくれるな。俺は大概約束を破って了う様な事になるだろうと心配している。だけど君はどうしても来てくれなくてはいけない。俺は君の来てくれる事を信じているのだから。
  ではさよなら、──最後に一番君に言いたい事、どうか身体を大事にしたまえ。』

 

turugimitiko.hatenadiary.jp