ほのぼの日和

文豪に関する随筆などを現代語訳して掲載しております。

谷崎潤一郎の詩人のわかれ2

 以下、『』内の文章は大正8年春陽堂から出版された谷崎潤一郎著「呪われた戯曲」より「詩人のわかれ(此の一篇を北原白秋に贈る)」を現代語訳した上、引用しております。

 
『「ところでこれからどうするんだい。何だかこのままじゃあ済まされないよ。」
 重箱へ押し上がって、白焼(しらやき)を肴に又朝酒を飲み始めたAは、二人を掴まえて散々に気焔を挙げ出しました。
「私あ今夜の十二時までにうちへ帰りゃいいんだから、これからどうしたってもう一遍待合(たいこう)へ行くよ。持ったが病で仕方がねえ。」
「それじゃもう一遍吉原へ引返すか」
 Bがこう言うと、Aはにたりと笑って、
「うん、そいつもちょいと悪かあないな。昨夜は大分もてたから。」
「よせやい、よせやい。華魁(おいらん)の惚けを言うようになっちゃ、もうお前さんもおしまいだぜ。」
 三人は腹を抱えて、ゲラゲラと笑いました。
「どうだい、いっそこうしようじゃないか。──今日はあんまり天気がいいから、郊外散歩をかねて、葛飾のFのうちを訪問しようじゃないか。自動車で行けば直きだから、晩方までには帰って来られる。それから後は、うちへ帰るとも待合(たいこう)へ行くとも、めいめいの自由行動にしたらよかろう。」
 こういったのはCでした。彼は今になってから、自分の軽薄な行動をしみじみと後悔し出して、今日の一日を不健全に送るのが、たまらなく不愉快になって来たのです。昨夜自分が首唱(しゅしょう)して、他人を誘惑した罪があるので、このまま袂を分かつ訳にはいかないまでも、せめて心機を一転させる方法を運らそうと考えたのです。
「ねえ、おい、そうしようじゃないか。晩にまた待合に行くにしたって、こんな天気に郊外を歩いて来ると、気が変わって面白いぜ。」
「そうさな、それもいいな。」
 と、Aは小首をひねって、
「Fの奴にもほんとに久しく会わないからな。この頃一体どうして居るか、彼奴の顔も見てやりてえ。」
「彼奴の事だから、や、よく来た!とか何とか言って、嬉しがって抱きつくぜ。」
 Fと言うのは、やはり三人と同じ時代に、同じ雑誌に関係して居た、九州生まれの田園詩人でした。「Fが新宿で女郎買いをして、三十円もふんだくられたとよ。彼奴(あいつ)も田舎者じゃないか。」との当時、よく三人はそんな噂をして、Fの間抜けな遊び振りを嘲ったものでした。彼等はFの詩人としての才分に充分の敬意を払っていながら、その肌合が違うために、古い友人であるにも拘らず、あんまり往復をせずにいたのです。そうしてFは、早くから孤独と貧窮とに馴れて、騒がず焦らず、超然と自己の道を守っていましたが、去年の夏から、結婚と同時に市川の町はずれの、江戸川縁(えどかわべり)に草庵を結んで、そこに侘しく暮らしているのです。
「行くなら此方から喰い物を提げて行こうぜ。貧乏な所へ押しかけて行って御馳走させちゃ可哀そうだよ。」
 と、Bが発議しました。
「御馳走になるもの気の毒だから、彼奴を誘い出して川甚へ行って飲むとしよう。──だが何だな、鰻がこんなに余っているから、土産にすると丁度いいんだが、白焼じゃあ仕様がねぇな。」
「どっこい、そいつあ好い知恵がありやす。」
 と、Cは気障(きざ)な調子で顎を撫でながら、
「女中にそう言ってその白焼を蒲焼に焼き直して貰うんさ。ちっとしみったれな考えだがね。」
「そんな事が出来るのかい?へっそいつあ旨(うめ)えや。蒲焼の御み折を提げて行きゃあ豪儀(ごうぎ)なもんだ。」
「Fの奴あ何も知らねえで、旨がって喰うだろう。」
 三人は機嫌よく笑いました。
 それから三十分ほど立つと、三人を乗せた自動車は、江戸川縁の桜の土手を走っていました。
「うん、なかなかこりゃあ好い景色だ。こんな所へ来て見るのも、たまにゃあいいもんだな。」
 Bが煙草をくゆらせながら、きょとんとした顔つきで、こんな事を言います。
「今日見たいに、天気のいい日はよかろうが、一年中住んで居るんじゃ淋しいだろう──おい、彼処(あそこ)に見えるのは、ありゃ秩父かな、筑波かな。」
 Aがこう言って指さした遠い野末の空には、武州上州の山々が、早春らしい薄霞の底に、頂の雪を光らせて淡く微かに連って居ました。
「これからだんだん暖かくなると、この辺に住むのも面白かろうな。来月あたり土手の桜が咲いた時分に、大挙してお花見に来ようじゃないか。」
「よかろう、是非やろう。──東京から芸者を引っ張って来るんだね。だがこの辺にいいお茶屋があるか知らんて。」
「あ、ここだ、ここだ、この辺だ。」
 前に一遍Fの家を訪ねた事のあるBが、声をかけて自動車を止めさせました。
「たしか彼処に見えるうちがそうだろう。」
土手の右側に、瓦を焼く竈が二つ三つ、土饅頭のように見えて、それからまた一二町左記の、田んぼのまん中にぽつんと立って居る一軒屋の前まで、自動車はだらだらと降りて行きました。』


首唱(しゅしょう)・・・一番先に言い出すこと。
豪儀(ごうぎ)・・・威勢のよいさま。素晴らしく立派なさま。

 

『田園詩人のFは、その一軒家の二た間を借りて、夫婦で住んで居るのでした。小柄な、痩せぎすな、丸髷に結った夫人が、声を聞きつけて垣根の木戸を明けてくれると、三人は庭へ廻って、古沼の汀に臨んだFの書斎へぞろぞろと上がり込みました。
「この二三日大分春らしくなって来たんだが、今日は風が寒いもんだから、こんなに締め切ってしまったんだ。」
 東から西へ開いて居る廻りの縁の雨戸を立てて、Fはうす暗い六畳の部屋のまん中に、机に凭(よ)って据わって居ました。床の間には、彼の暢達(ちょうたつ)な素朴な手蹟で、自作の和歌を書いた色紙が、古ぼけた横物の紙表装のまま懸って居ます。その外には彼が自分で装丁して自分で出版した詩集の数冊と、彼が大好きな異国趣味の書家司馬江漢(しばこうかん)の版画と、長崎の阿蘭陀人(おらんだじん)の風俗を描いた額と、鳥の巣などが、欄間や柱や地袋の上に散見して居るだけです。
「いや、僕もそろそろ飽きて来たから、東京へ出たいと思うんだが、折角冬を凌いで来たのに、春を見ないで引き移るのも惜しいような気持ちがする。」
「そうだね、春になったら又お花見に押しかけるから、それまで此処に居給えよ。先ず引越しは五月頃かね。」
「五月に越せれば越したいけれど、それもまあ金次第さ。いつになったら金が出来るか、今のところじゃ分らないが。」
 Fはこう言って、童顔の二重眼縁の、無邪気な愛嬌のしたたるような大きな瞳に微笑を浮かべました。
 ここへ来てまで、まだ無遠慮に惚けだの皮□(一文字分、判読不明)だのを連発して、たわいもなくふざけて居る三人の、べらべらした口の利きようと、暖かい南国の新鮮な、濃厚な趣味を暗示するような、Fの太い唇から洩れる重苦しい訥弁(とつべん)とは、一種不思議な対照をなして室内に響きました。
「僕は事によったら、この夏印度へ行こうかと思って居る。実は非常にいい序があって、金なんか持たずに行かれそうだから。……」
「印度なら僕も行きたいな。」
 と、CはFの言葉を引取って、
「しかし僕は、暑さが何より恐ろしいから、行くなら寒い時分にするんだ。」
「熱帯はやっぱり夏でなければ詰まらないさ。何しろ印度という所は、町の中を孔雀が飛んで居るそうだから面白いじゃないか。僕が行ったら、アジャンタの窟へ一と月ばかり籠もってやろうとおもうんだが、途中の山路には虎が出たりなんかするそうだよ。C君にはとても印度へは行かれないだろう。」
 Fはこう言って、長く伸ばした漆黒の髪の毛をさっと後ろへ撫でながら、
「僕は九州の人間だから、熱いのはいくらでも我慢する。──この間巴里から帰って来たSに会ったら、僕のような顔は仏蘭西人(フランスじん)に沢山あるって言われたぜ。」
 ごわごわした木綿の綿入れにくるまって、長煙管で刻みを吸って居るFの体は仏像のように円々と肥えて居るのです。ふっくらとした、マホガニー色の豊頬に一面に生えて居る濃い青髭、やさしい眸(まなざし)の上を覆うて居る地蔵眉毛、──それ等の特長は、いかにも彼の血管に暖国の血の流れて居る事を、証拠立てるように見えました。
 やがて、三人に促されて川甚へ出かける時、
「ちょい待ってくれ。」
 と言って次の間へ這入ったFは、間もなく髭を綺麗に剃って、紺天鷲絨(こんびろうさ)のダブルクローズに、ピンク色の土耳古帽を冠りながら、恰も長崎の「阿蘭陀人」のような風来になって現れました。
 四人が川甚を出て柴又の停車場へ向かったのは、その晩の九時近くでしたろう。青白い新月の光が謎のようにただようで居る田舎路を、ほろ酔い機嫌で蹣跚(まんさん)と歩きながら、彼等はまだくたびれずにしゃべり続けて行くのでした。
「さあて、──何だかいやに寒くなってきやがったな。これから今夜は赤坂へ泊(ハク)として、明日の朝うちへ帰ろうかしらん。……」
 Aが突然心細そうな調子で言って、ぞくぞくと身震いをしました。
「ほんとに寒いな。これじゃあとても酒が持たねぇ。東京へ着いたら早速一杯やらなくちゃ。」
 彼等の眼の前には、もう東京の町の灯が、賑やかそうにちらちらと映って居たのです。そうして、道楽者の必ず経験する、「夕ぐれの悲哀」が、元気よくしゃべればしゃべる程、ますます強く彼等の心を襲って来るのでした。
「おい、どうだい、Fも一緒に東京まで来たらいいじゃないか。」
「行ってもいいがまた今度にしょう。」
 Fは川甚の提灯を持って、三人の先頭に立って居ました。
「……その代り電車で中途まで送って行くよ。押上行きは江戸川の停車場で乗り換えだから、其処で別れて引返すとしよう。」
 柴又の終点で電車に乗ってからも、三人はいろいろに勧めて見ましたが、Fはやっぱり帰ると言うのです。』


暢達(ちょうたつ)・・・のびのびしている事。
訥弁(とつべん)・・・つかえながら喋る事。その話し方。
蹣跚(まんさん)・・・よろめきながら歩くこと。よろよろ歩くさま。

 

『次の停車場の、江戸川駅のプラットフォームに降りた彼等は、乗り換えの電車の来るのを待つ間、暫く管を巻いていました。
人道主義と言うのが流行るが、ありゃあ一体どんな主義だい。人道と言やあ往来の片側を歩く主義かね。」
 三人のうちの誰かが、こんな事を大きな声で怒鳴ったようでした。
「それじゃ僕は、もう失敬しよう。」
 Fは消えた提灯に明りを入れながら、こう言って握手を求めました。
「だって君、まだ電車が来ないじゃないか。」
「電車へ乗ったって、僕の所は半ばだから仕様がない。歩いて帰れば十一時までには着くだろう。」
「君ん所まで、ここからどのくらいあるんだね。」
「一里半ぐらいあるかも知れない。たびたび歩いて、道はよく分かって居るから大丈夫だ。──それじゃ失敬。」
 Fは友人の手を一人一人に握り緊めた後、提灯を振りながらすたすたと歩き出しました。
 其処に佇んだ三人は、誰からともなく口を噤んで、停車場のアーク燈の光りの中から、次第々々に田圃(たんぼ)の闇へ消えて行くFの姿をじっと視詰めて居るのでした。
「とうとう帰って行きやがった。──」
 やがて、Aの唇から、酔いどれの独語じみた言葉が、不意に悲しげに発せられました。
「ほんとうになあ、何処となく可愛い男だよ。彼奴あえれぇ所がある。──」
 BとCとが気が付いて見ると、Aの眼には、其の時、涙が一杯に溢れているようでした。
 三人に別れを告げて、田圃の夜路をとぼとぼ歩き出した詩人のFは、二三町進むと提灯の蝋燭が尽きたので、月明かりを頼りに畦を辿って行きましたが、そのうちに月も西の空に沈んで、辺りは全くの暗闇になってしまいました。十一時までには家へ帰って、妻の顔を見られると思っていたのに、どう道を踏み迷ったのか、いくら行っても見渡す限り茫漠とした野原が続いて居るばかりです。人に尋ねようと思っても、蝋燭を買おうと思っても、一軒の家もなければ、一人の通行人もありません。
「己は先から、たしかに三四里ぐらい歩いて居る。もう何処かの村へ出なければならない筈だ。」
 そう考えると、Fは俄に恐ろしくなって、無我無中で田でも畑でも構わずに飛び越えて行きました。木の根に躓いて顔を擦りむいたり、水田に落ちて泥だらけになったりしながら、凡そ六七時間も彷徨(さまよ)いましたが、未だに夜の白(しら)む様子もなく、覚えのある街道へも出られません。
「ああ、もう仕様がない。明るくなるまで此処で野宿をしてやろう。」
 とある雑木林の陰へ来た時、Fは体が綿のように疲れて、腹が減って、一寸も動けなくなったので、ばったり其処へ倒れてしまいました。
 その後何時間ぐらい立ったのか分かりませんが、昏々と眠っているFの耳元で、何者とも知れずひそひそと囁く声が聞こえました。
「Fよ、貧しい、哀れな田園詩人のFよ。お前は少しも落胆するには及ばない。私は今日、お前を試してやったのだ、お前が自分の守るべき詩の国を捨てて、他人の誘惑にかかるかどうかを、試してやったのだ。お前はほんとうに、自分の芸術に忠実な男だ。お前は人間の世の浅ましい栄華を捨てて、浄い楽しい詩の世界の、永劫の快楽に身を委ねたのだ。私はお前が、堅固に操を守っている褒美として、私の足に着いて居る真珠の瓔珞(ようらく)をお前に上げる。お前はその宝玉をお前の国の貴族の御殿へ持って行って、金に換えて貰うがよい。そうしてその金で、直ぐに印度へ行くがよい。印度の国の神々は、印度の国の自然美は、お前の詩によって歌われる事を待って居るのだ。私はそこから、わざわざお前を迎えに来たヴィシュヌの神だ。」
 こう言われて、Fがふと眼を覚ますと、不思議にも彼はいつの間にか、自分の庵の、古沼の滸(ほとり)に運ばれて居ました。沼にはさながら満月の夜に似た皎々(こうこう)たる光が漲って、波の間から、七頭の蛇(じゃ)アナタに乗った妖麗なヴィシュヌの神が、徐かに彼の傍へ近寄って来る様子です。
 Fは瞳晦むような眩ゆさを覚えながら、神の前に跪いて、白蓮の花よりも柔らかい踝(くるぶし)の瓔珞の珠を抱えたまま、貴い足の指先に接吻しました。その指先からは彼の大好きな南洋の果実ザムボアの汁が、滴々(てきてき)としたたり落ち、彼の眼からは感謝の涙が潜々(さんさん)として流れ落ちました。(一九一七、三月作)』


瓔珞(ようらく)・・・原著では、”えつらく”とルビが振られているが、現在では、”ようらく”と読む。宝石類を連ねて編み、仏像の頭や首、胸などにかけた飾りを指す。


 はい、お疲れ様でした!実に意外な幕切れに読んでいて驚いたのではないでしょうか?谷崎潤一郎の中では、北原白秋ヴィシュヌ神に連れられて、あの世に逝ったのだとしか考えられなかったのでしょう。作中でも、随分と谷崎潤一郎北原白秋を敬愛している事が窺えますね。色々と面白いエピソードが多い谷崎潤一郎ですが、北原白秋に対しては非常に純粋な一面で持ってこの文章を書き記したように思えてなりません。彼の持つ素直さが、一番如実に表われている作品だと思いました。